寺島実郎の発言

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アメリカと深層心理「成功体験」が歪みにナショナリズムを問い直す(朝日新聞8月14日付朝刊より転載)

小泉政権がスタートし、首相が「8月15日に靖国神社に参拝する」と語った時、米国の対日政策関係者に緊張が走ったという。「A級戦犯が合祀されていようが、首相として靖国を公式参拝する」ということは、論理的帰結としてサンフランシスコ講和条約で確認したはずの東京裁判を否定する可能性を暗示するわけで、米国としては「本格的ナショナリズムに回帰した政権の登場か」との疑念が生じたのである。

ところが、米国のイラク攻撃支持に至るその後の経緯が示すものは、ブッシュ政権も戸惑うばかりの親米路線への傾斜である。「国難に殉じた英霊」に涙する心性が、決してアメリカと一線を画す方向に向わず、日本の動きに懸念を表明する近隣諸国への敵愾心に変質するという状況は、日本のナショナリズムの深層心理を象徴するものである。

「脱亜入欧」の20世紀

本来、ナショナリズムとは自らの民族の自尊自律を求めた能動的意思であるはずだか、幕末維新の「開国」以来、日本のナショナリズムは結節点を求めて常に「欧米」と「アジア」の間で揺れ動いてきた。福沢諭吉の「脱亜論」と樽井藤吉の「大東合邦論」という日本のあるべき国際関係を論ずる対照的な論文が、奇しくも同じ1885年(明治18年)に発表され、今日に至る宿命のテーマとなり続けている。

アジアの諸民族が結束して、白人帝国主義のアジア支配を打破することを論ずる樽井の「アジア主義」の系譜を深層に埋め込みながら、20世紀の日本は、福沢の「わが国は隣国の開明を待って共にアジアを興すの猶予あるべからず、むしろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし……」という「脱亜入欧」型の路線を歩んできた。つまり、20世紀初頭からの20年におよぶ「日英同盟」と1945年の敗戦からの「日米同盟」という二つのアングロサクソンの国との同盟関係で、20世紀の4分の3を過ごしてきた。しかも、間に挟まった25年が戦争を挟んだ苦渋の時代だっただけに、日本人の心に「アングロサクソン同盟は成功体験」という認識が固定化してきた。

確かに、日英同盟に支えられて日露戦争から第一次世界大戦まで「勝ち組」として台頭した歴史、さらには日米同盟に支えられて復興・成長と歩んできた戦後史を思えば、「アングロサクソンとの同盟は成功体験」という認識が生まれるのも当然かもしれない。しかし、それによって真のナショナリズムが封印され、名誉白人的位置付けへの屈折した自己満足が醸成されたことも否定できない。「アジアで最初の近代化に成功した国」「アジアで唯一の先進国サミットのメンバー」といった優越感が歪んだナショナリズムとなってアジアに向う傾向をもたらしたのである。

「ぷちナショナリズム症候群」といわれ、昨年のサッカー・ワールドカップあたりから「ニッポン大好き」という若者の屈託のない自国愛の傾向が顕著になった。国際社会との関わりの中で仕事をしてきた私自身が確認してきたことは、自らの民族と帰属する国家への共感無きコスモポリタンは、決して信頼も尊敬もされないということであり、自らのアイデンティティー(帰属意識)を求める傾向は、空疎な国際化志向より評価できる。ただし、自らの民族・国を愛す気持は、国際社会を構成する様々な民族・国の存在への敬意へと広がりを見せなければならない。「開かれたナショナリズム」でなければならないのである。とりわけ、近隣諸国の理解を得られなければ、視野狭窄の自己主張に終る。

これからの日本のナショナリズムが直面する課題を凝縮すれば「対米関係の再設計」といえる。9・11の衝撃を受けたブッシュ政権は、突出した軍事力をテコに極端な「力の論理」に傾斜しており、経常収支と財政の「双子の赤字」が年間1兆ドルにも達するという経済基盤の虚弱性もあって、自らの世界戦略を支える「保安官の助手」としての日本の役割に期待を高めている。一方、日本は「北朝鮮問題がある限り米国について行くしかない」という心理に陥り、日本を取り巻く周辺環境を外交力で安全なものにしていく努力を軽視して、「日本を守ってくれるのは米国だけだ」という冷戦期の幻想から抜け出せないでいる。米国の「力の論理」を無批判に許容し、「非核平和」と「専守防衛」の基軸を踏み外すならば、米国が作り出す「有事」に際限無く巻き込まれていくことにやがて気付く。

過剰依存からの脱却を

「日本という国は危ないね」ある欧州の外交官がつぶやいた。憲法という法治国家の根幹の規律を変える手続きも経ず、平然と「解釈改憲」で、自衛隊を米国支援で海外に派遣する決定をする日本を議論した上での一言だった。時代の空気で瞬時に変容する経綸の欠如。確かに「非核平和主義」が、力の論理に傾斜し始めるや、瞬く間に「日本も核武装を」に変節しかねない危さを内包している。「米軍が駐在して日本の危険を封じ込めてくれるほうがまし」という本音を諸外国が抱いていることを重く受け止めたい。

同じく敗戦国のドイツと異なり日本には、ドイツとフランスの関係のごとく近隣に協調と信頼の枠組が無い。「軍事ナショナリズム」か「米国への依存深化」か、という不健全な選択に追い込まれぬためにも、アジアの周辺環境を相互敬愛へと変える主体性が求められる。米国への過剰期待と過剰依存から脱却し、自らの運命を自らが決める方向へと歩み出すこと、それこそが21世紀が求める「開かれたナショナリズム」への一歩である。