寺島実郎の発言

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イラク特措法案と対米姿勢(朝日新聞6月24日付朝刊より転載)

米国の「力の論理」を見せ付けられたイラク戦争後の世界について、我々が抱きがちなイメージは、弱肉強食の世界の再来であり、強い者が作り出す既成事実の追認という心理に傾きがちとなる。結局は「力こそ正義」であり、「国連のような国際機関は機能しなかった」「国連を通じた集団的安全保障に期待する時代ではなく、力を持った同盟国との連携こそ現実的選択」という認識が主潮となりがちである。しかし、それは正しくない。世界は確実に力の論理が機能しない方向に歩み出しつつある。 自衛隊のイラク派遣も「イラク国民のため」というよりも、「対米配慮」という要素が優先されている感は否めず、日本人は今こそ「力の論理」に不用意に傾斜することの危うさを熟慮すべきである。

米国の軍事的勝利によって、「テロとの戦い」「大量破壊兵器の廃絶」「イラクの民主化」という一連の戦争目的とされたテーマに進展がみられたとする人はあまりに楽観的すぎる。イラクで、そして世界で進行していることは、憎しみと怨念の増幅であり、秩序の緩慢なる液状化である。我々は筋道立てて事態を直視せねばならない。

大量破壊兵器」が、予定された戦争を正当化させるための口実として利用されたのだとすれば、殺戮された者への冒涜である。いかにも確証があるかのごとく具体的に提示されていた「500トンの化学兵器を作れる材料、3万発以上の化学兵器用弾頭」という話はどうなったのか。少なくとも、イラクはそれらの兵器を使わなかったし、開戦から3ヶ月が過ぎても発見されてもいない。米国の開示する情報だけに依拠して戦争支持を表明した者の心に重い罪悪感を残すことは確かである。

「ドル離れ」

また、「石油のためではなく、イラク国民の解放のための戦争」というのが、せめてもの攻撃の論理であったはずだ。だが、それも戦勝国の権益確保に邁進する姿によって裏切られた。イラクへの制裁解除決議によって、国連による「石油食糧交換プログラム」は停止され、米国主導によるイラクの石油管理が追認された。イラクには米国の石油関連企業が殺到している。

ところが、この国のイラクの石油への野心を露わにするほど、皮肉にも事態は思うに任せぬ方向に向かいつつある。湾岸産油国の米国への嫌悪感を背景にした「石油決済通貨のドル離れ」、つまりユーロ決済の拡大である。イラク攻撃に最後まで反対した欧州への共感という部分もあるが、米国によるイラク原油の増産がもたらす油価下落への懸念などがユーロ決済を選好させつつある。湾岸戦争後、当時の独マルクに対して急騰したドルがイラク戦争後はユーロに対して急落しているという現実は、欧州の共通通貨ユーロが第二の基軸通貨に育ちつつあるということよりも、オイルマネーの米国忌避という要素の顕在化として注視すべきであろう。

ブッシュ大統領が、エビアン・サッミットで唐突に「強いドル容認」と発言したのも、パレスチナ国家設立にまで踏み込んだ「中東和平」への真剣さをアピールしているのも、アラブ諸国の離反がもたらすものの怖さに気付きはじめたからでもある。軍事的には米国の一極支配が際立つが、経済的には世界は多極重層的な構造へと変化しており、決して一国支配による自己完結を許さないのである。

特異な日米

米国の論理だけで世界が動いていないことを示すべき事例が、国際刑事裁判所(ICC)構想である。オランダのハーグに、既存の国際司法裁判所とは別に、国際刑事裁判所が本年3月に設立された。昨年6月末に、60カ国以上が批准したことにより、人道に対する罪や戦争犯罪を国際社会の合意に基づく法的手続きで処罰するシステムが実現されることとなった。既に90カ国が批准している。

驚くべきことに、米国のブッシュ政権は前政権の方針を転換し、ICC構想からの離脱を表明した。理由は「米国人が第三国で刑事犯として逮捕され、不公正な裁判の犠牲にされることを拒否する」というもので、ユニラテラリズム(自国利害中心主義)極まれりという話なのである。

テロの芽となりかねない国を「モグラたたき」のごとく個別攻撃しても問題解決にはならない。迂遠かもしれぬが、国際的な刑事司法権を確立して国境を超えた組織犯罪を処断する必要がある。また、北朝鮮による「拉致」の問題も、人道に対する罪として国際法理で処断することが重要であり、北朝鮮がICCに参加していなくとも、「犯罪が行なわれた国」である日本がICCに管轄権を委ねれば、この問題を戦略的に国際化させることも選択肢となりうるのである。

米国とともにイラク戦争を戦った英国も、隣国の韓国もICCの締約国となっている。不可解なのは日本の姿勢で、予備会議段階では熱心だったにもかかわらず、現在、批准する姿勢さえみせていない。ICCは、世界が国際法理によって制御される時代に向いつつあることの予兆であり、米国と日本の特異性を映し出す鏡でもある。

理念色あせ

やがて歴史が証明するであろうが、日本は米国の世界戦略に身を委ねることを「国益」とする間違った道に迷い込もうとしている。「有事法制」も、主体的意思を見失えば「米国が作り出す有事」を自動的に「有事」として共有せざるをえないところに日本を置きかねない。戦後日本が、国づくりの基軸としてきた「武力を国際紛争解決の手段としない」という理念も「多国間の協調によって世界秩序を維持する」という国際協調主義も、力によって米国が掲げる価値を実現しようとしているブッシュ政権に歩調を合わせることによって急速に色褪せ始めている。

イラクの戦後への関りも、真にイラク国民に役立つことに限定し、自己制御すべきである。役割への期待がはっきりしない状態で、「戦地」に立たされる若き自衛隊員こそ気の毒である。医療や人道支援に限定した「国際援助協力隊」のような非軍事的制度を創設するなど、日本の国際社会への責任のとり方の独自性を示すべきだと思慮する。

世界の潮流

思えば1921年に出来たイラクという国も、オスマン帝国を滅ぼした大英帝国が恣意的に国境を線引きした人工国家であった。大国の思惑に翻弄された歴史であり、今日また「再植民地化」の言葉さえ想起される事態が進行している。日本人に求められるのは、大国によって壟断されてきたアジア・中東史への深い洞察と共感であり、間違っても大国主義の驥尾に付すようない選択をしてはならない。イラクの占領統治がイラク国民にとって公正で正当なものとなるよう、日本こそ筋道の通った行動を貫くべきである。アジア・中東の国々は、日本がリーダーにふさわしい理念と行動をなしうる国か、それとも「名誉白人的地位」に自己満足して列強模倣のゲームに参入するだけの国か、静かに見守っている。

100年前、20世紀初頭の日本は世界史の潮流を読み違えた。既に、中国やインドなどアジア各地で萌芽が見られていた「民族自決・国民国家」という20世紀のテーマを読みきれず、列強模倣の植民地主義的ゲームに参入し、一敗地にまみれた。今、二一世紀初頭に立つ日本は、世界潮流を「米国主導の力の論理の時代」と読み間違えているのではないか。世界はゆっくりではあるが、国際法理と国際協調による全員参加型の秩序形成の時代に向いつつある。米国の復元力と日本の理性が問われているのである。