連載「脳力のレッスン」世界 2008年4月号
問いかけとしての戦後日本––再び団塊の世代として
その男、馬込政義は一九七〇年九月一四日、佐世保に生まれた。その前日、六四二二万人を集客した大阪万博が閉会した。「七〇年安保」を巡る政治の季節も終わり、高度成長のピークに至る時期であった。この男はそれからの三七年間を生き、最後には故郷佐世保のスポーツ・クラブで二人を射殺した猟銃乱射の殺人犯として自らの命を絶った。三橋歌織(三三歳)、「外資系エリート・サラリーマン」の夫を殺害し、その首を切断して路上に捨てた「セレブ妻」、市橋達也(二八歳)、NOVAの英国人講師リンゼー・ホーカーさんを殺した行方不明男、そして畠山鈴香(三四歳)、自らの幼い娘と近所の少年を殺害した秋田の「鬼母」、これらの直近に起こった悲劇におけるあまりに身勝手で自制心のない加害者について気付くのは、かれらの両親が団塊の世代を中核にした「戦後世代」、つまり戦後なる日本を培養器として育った世代だという事実である。
特殊な例をことさらに誇張する気はないが、戦後世代日本人は決して自らの子供たちの教育に成功していないことは確かで、これらの犯罪の背景に浮かび上がる戦後世代の影の部分を直視したい。それは私自身の世代への問いかけでもある。
団塊ジュニアという鏡
世代論的には、一九七〇年から七九年までの七〇年代生まれの世代を「団塊ジュニア」と呼ぶようだが、厳密な概念規定はともかく、昭和二〇年代前半生まれの世代が就職して社会参加し、結婚年齢にさしかかった一九七〇年前後から八五年前後までに生まれた世代を広義の「団塊ジュニア」、つまり団塊の世代の子供達といってよいであろう。子供が「親の背中を見て育つ」存在だとするならば、団塊ジュニアは日本の戦後を生きた中核世代を映し出す鏡である。佐世保の乱射犯馬込政義は、同じく九州に生まれたホリエモン(堀江貴文、三五歳)ともほぼ同じ世代であるが、諸情報によってこの男の足跡を辿ることでこの世代を育てたものを考えてみたい。地元の高校を卒業した馬込はバブル期に向う八〇年代末に愛知県豊橋の電気機器店に就職、二年足らずで辞め名古屋で医療関係の仕事に転職した。放送大学に入学していた時期もあるが、見切りをつけて二四歳で上京、都内の病院で医療助手などの仕事に三年ほど従事、時給八〜九〇〇円程度のキツイ仕事だったという。結局、故郷佐世保に帰り水産加工会社に勤めた後、県立高等技術専門学校溶接科に入学、その後その特技を活かすでもなく干物加工業や内科医院でアルバイトをしながら年齢を重ねていた。興味深いのは「資格マニア」とでも言うべき傾向であり、危険物取扱者、ガス・アーク溶接技能者、クレーン運転技能者、電気工事者、発破技士、ボイラー技士などの資格を得ている。異様なまでのこだわりであり、何をやっても評価されない自分の人生において、「世の中に認められたい」という深いコンプレックスと葛藤が形を変えて現れたように思われる。
常に侮りと蔑みの中を生き、「今の自分」が評価されないという被害者心理に自分を置き、鬱々と抑圧された状況にあった男が、銃を持つことでかろうじて周辺が恐怖の表情をもって存在を認識してくれる瞬間に魅せられたのかもしれない。友人に「自分はでかいことをやる」といい続けていたという心の闇に慄然とさせられる。馬込政義の両親はともに六〇歳台前半で、父は市の職員として市営動植物園と清掃関係の仕事を定年まで勤め上げた「まじめでおとなしい人」、母は専業主婦で、毎週末ミサに通うカソリックの信者だという。この両親が息子に向き合った姿勢は、この世代の人間として特別なものではなかったといえる。母親は三七歳にもなった息子に毎月二〇万円もの小遣いを与え、犯罪に使われた銃やモーターボートなども買い与えていたと報じられるが、子供に対する「甘さ」は決して特殊なものではなく、「他人様の迷惑にさえならなければ好きなことをしていていいよ」という姿勢は、この世代の親の子供に対する共通の姿勢であった。
これまでも再三言及してきたことだが、団塊の世代が「戦後日本」という環境に培養され身に着けてきた価値観を集約的に表現するならば、「私生活主義(ミーイズム)」と「経済主義(拝金主義)」といえる。全体が個を抑圧してきても、人間としての強い意思をもって対峙する思想としての「個人主義」とは異なり、他動的に与えられた民主主義の中で自分の意思で生きることを認められた個々人がライフスタイルとして「自分の私的な時空間に他者が干渉することを嫌う」傾向を「私生活主義」という。個の価値を問い詰めて社会との位置関係を模索する真の個人主義には背を向け、結局、戦後世代が身に着けたものはこの「私生活主義」にすぎなかった。
また、戦後復興・成長という過程に並走する形で幼少年期を生きた者として、「何はともあれ経済が大切」という暗黙の価値を身に着けてきたともいえる。「ベビーブーマーズ」と呼ばれる米国の戦後生まれ世代をはじめ世界の同世代の人間とも語り合ってきたが、日本の戦後世代において極端に「経済主義的傾向」が強いことを実感する。経済を超えた多様な価値が人間社会には存在することには希薄な関心しか抱かず、本音の部分で経済的安定と豊かさだけを求める傾向が深く沁み込んでいる。「私生活主義」と「経済主義」の谷間に生まれ育ったものが「団塊ジュニア」だとすれば、この世代が親の世代の性格を超えた価値を身に着けることを期待することは不自然である。団塊ジュニア世代が引き起こす昨今のおぞましい事件やこの世代の在り様は、日本の戦後とそこに関わった世代の問題を問いかけてくるのである。
吾亦紅(われもこう)という心象風景
〇七年のNHK紅白歌合戦への出演を機に、すぎもとまさとの「吾亦紅」が売上げベストテンに入った。「母に捧げる哀悼歌」で、団塊の世代をはじめとする中高年層の男の心象風景に訴えるものがあり、気になって私も買ってじっくりと聞いてみた。
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰 あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり逢いに来た ただ あなたに 謝りたくて
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親のことなど 気遣う暇に 後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉 守れた試しさえ ないけど
あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ
そうはじめて 自分を生きる
確かに親孝行も十分にできなかった私自身の心にも沁み、つい引き込まれるのだが、冷静に再考してみた。この歌の「母」とされる我々の父母の世代は戦争の時代を生きた。つまり、全体が個を否応なく巻き込んだ時代を生きたのであり、対照的に我々は自由に「自分を生きる」ことが許された世代であった。日本の歴史の中で、「個」と「我」の論理を認められた最初の世代といってよいであろう。にもかかわらず、六〇歳にもなろうかという年齢になっても今なお十分に自分らしく生きていないと思い続け、「自分を生きる」と気張ってみせる心情にこの世代の特質が浮き出ている。瑣末なことを批判する意図はないが、せいぜい「離婚する」などという私的事情をことさらに「自分を生きる」証としてもってくる心の動き、さらには「そば打ち」や「楽器を弾く」ことなどに自分の世界を求める心理、この辺りを一歩も出ないところに我々の世代の壁を思う。会社人間として結構本気で右肩上がり時代の企業戦士として参画し、バブル期を中間管理職として享受した世代が定年退職期を迎え、全体状況の中で思うにまかせぬ局面になると屈折した私生活主義に回帰して「内向」し始める。
世界的に二一世紀の構造的課題が噴出し、日本社会の深層に戦後の澱のようなものが溜まっている。これらの課題に正面から向き合うべき今、平均的には今後二五年を生きねばならぬ団塊の世代は、自らの体験を整理し、いかに社会的に生きるかを問い詰め、何かを後代に残していかねばならない。

