寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2007年4月号

今ここにある格差社会の性格——進行した分配革命

改めて労働統計を見てみよう。昨年の「労働力調査」(総務省)において、年間収入が200万円未満で働いている人は、自営業者とその家族従業員で443万人、雇用者のうち正規の雇用者(正社員)で447万人、非正規の雇用者(パート、アルバイト、派遣、契約・嘱託、その他)で1284万人となり、その合計は2174万人となる。労働力総数が6384万人であるから、実に3分の1が「200万円未満の所得」ということになる。

これらの人たちを単純に「貧困」と決め付けるわけにはいかないが、目安として「年収200万円未満の所得者」を、米国でいう「ワーキング・プア(働く貧困者)」に相当する存在としておく。理由は、失業者(294万人、06年)が得られる失業保険の上限が年約200万円、生活保護世帯(106万世帯、06年)への生活保護の上限が同じく約200万円であり、それと同等以下の収入で働いている人を「貧困」とイメージするということである。

ちなみに米国には「貧困水準」を示す統計がある。例えば「4人家族で年収1万9307ドル以下の家計」を貧困とする基準(2004年)であり、貧困水準にある人が3700万人、人口比重12.7%という数字になっている。この米国の貧困水準は日本の年収200万円のレベルとほぼ同じである。購買力平価など、貨幣価値を厳密に考慮しないと正確な比較はできないが、世界でも稀にみるほど富の分配が平準化しているとされてきた日本であるが、200万円未満の所得で働く人と失業者、被生活保護者を合わせて2500万人を超すという現実は、日本の貧困層も今や決して少数ではないということである。

バブル崩壊後の分配革命——「平成維新」とは何だったのか

1990年前後の所謂「バブル」とは資産インフレであった。したがって「バブル崩壊」とは資産インフレが資産デフレに反転する過程であった。このことによって資産家の没落が進行した。土地の価格、市街地価格指数は1990年をピークとして商業地は71%、住宅地は41%も下落(05年)しているし、株価、日経平均株価も同じく90年をピークとして58%も下落(05年)している。したがって、土地と株を持った資産家にとってバブル崩壊は、個人差はあるが極端なダメージを受けた過程であった。

バブル期の東京のサラリーマンのボヤキを思い出す。「このまま東京で働いてもマンション一軒買えない」「7千万円以上の借金を背負い、おれの人生はマンション一軒買って終りなのか」というものだった。その頃、サラリーマンにとって見上げるような存在が資産家であった。

この間、日本における社会変革をリードするイデオローグとなった人物を思い浮かべれば、進行した分配革命の本質が分る。「平成維新」を掲げて90年代に際立った発信をしていた大前研一であり、21世紀初頭の「小泉改革」を主導した竹中平蔵である。かれらに共通するのは、知的テクノクラートとしてサラリーマン生活を経験し、しかも米国留学を体験している。日本社会に横たわる構造的矛盾、既得権益、非効率に誰よりも敏感に気付く存在でもあった。改めて、彼らが主張したことを整理するならば、「国家主権に対する生活者主権」という旗の下に、「反官僚・反霞ヶ関(官から民へ)」「市場主義の徹底(競争の導入による既得権益の破壊)」に凝縮される政策提言の積み上げに気付く。こうした主張は、都市のサラリーマン層の琴線に触れるものであり、単純化すれば「日本を既得権益から解放し、もっと効率的なアメリカのような社会に改革しよう」という方向を提示したといえる。

事実、90年代以降の日本は改革幻想を生き続け、「政治改革」(細川内閣)、「行政改革」(橋本内閣)、「構造改革」(小泉内閣)と「改革」を掲げる政権をもたらした。政治改革は「小選挙区比例代表並立制」という選挙制度の改正にとどまり、行政改革は「省庁再編」に矮小化され、構造改革は「郵政民営化」を本丸とする程度のものに終息した。ところが実は社会構造には重大な変化が進行したのだ。サラリーマンにとって羨望と嫉妬の対象だった資産家は資産価値の下落によって没落した。その意味では、この15年間は都市中間層がその代弁者たる知的テクノクラートが主唱した「改革」を通じての分配革命を成功させた過程ともいえる。

ところが、この改革は「競争主義・市場主義」の導入を通じて都市中間層にも痛手を負わせることとなった。勤労者家計可処分所得、つまり普通のサラリーマン家計が実際に使える金はピークの97年の月額49.7万円から05年には44.0万円まで11%も下落した。バブル絶頂期の90年には44.1万円だったから15年経っても横ばい以下の水準である。理由は右肩上がり時代の「年功序列終身雇用」型の分配システムが崩壊して実収入が減少したことに加えて、公的負担(年金・保険など)が増えたためである。



ワーキング・プア増大のもつ意味

資産家の没落を成功させたものの、自らの所得も抑制されはじめた都市中間層にとって、さらなる衝撃を与えたのが先述のワーキング・プアの激増であった。その中核を占める「200万円未満の所得の非正規雇用者」増大の中身を直視するならば、「貧困や格差はどんな時代にもある」などとは言えない特殊現代的な性格が見える。

「200万円未満の所得の非正規雇用者」の仕事の多くは、「時給1000円前後の労働」で、コンビニやスーパーのレジでバーコードを光学読みとり機でなぞるような仕事、つまり「誰がやっても同じ」という平準化された労働である。企業にすれば、「余人をもって代えがたい人間」を現場に配置し続けることはコスト高を招くので、できるだけ仕事を平準化し、パート・アルバイト・派遣・契約などの非正規の雇用者でも対応可能にしようとする。追い風になったのはIT革命である。ネットワーク情報技術革命が流通情報管理の効率化をもたらし、計算がおぼつかない人や文字が書けない人が現場に立っても何事もなかったかのごとく経営管理ができる体制が可能になったということである。

さらに、グローバル化の潮流は、労働集約型の事業分野の「海外進出」を促し、誰がやっても同じレベルの労働は、「途上国では5分の1の労働コストでやれますよ」という水準へと、対価が引き下げられるという傾向をもたらした。

年収500万円から700万円台の都市中間層からすれば、年収200万円未満のワーキング・プアの増大は、「オレはまだましだ」という相対的な階層意識の浮上感覚をもたらした。自分の可処分所得も下落し息苦しいはずだが、資産家の没落とワーキング・プアの増加にはさまれて、虚偽意識として階層意識の混乱が起こっている。このことが都市中間層の保守化という空気を醸成し、「改革」は望むが自分の相対的優位は確保したいという心理状況をもたらしているともいえる。

肝心なことは、今我々が直面している「格差」問題、つまり新しい貧困とは、本人が怠惰なために貧困にあえぐという自己責任の範疇ではなく、社会が若者に提供できる仕事の中身が空疎なものになり、構造的な解決を求めている課題だということである。仕事を通じて人間としての喜びと誇りを感じ、また、人生を深めうるような受け皿を社会が準備できなければ社会の荒廃が進み、不安定感を増すであろう。おそらく、「生活の糧を得るための仕事」とは別に「世の中の役に立つ仕事」としてのNPO型の仕事(収入は少ないが公共の目的にかなった仕事)を持つことができるなどの柔軟な社会工学的な知恵が求められている。新しい貧困には新しい政策論が必要となるはずだ。