寺島実郎の発言

HOME > 寺島実郎の発言 > 連載「脳力のレッスン」 > 新たなる危機としての中東——イラン攻撃の可能性

連載「脳力のレッスン」世界 2007年3月号

新たなる危機としての中東——イラン攻撃の可能性

ブッシュ政権は手詰まり感深いイラク情勢を打破するため「イラクに2万人以上増派する」という新しいイラク政策を発表した。中間選挙で破れ、上下両院での主導権を民主党に奪われて「レームダック化しつつあるブッシュ政権」としては意外な展開に思えるが、実はこういう状態での政権の持つ危険性が噴出しているともいえ、中東情勢全般を睨み注目すべき局面である。

大方の見方としては、残された任期のブッシュ政権は、超党派の外交・安全保障専門家グループ「ベーカー・ハミルトン委員会」のレポートを受け、イラクからの段階的撤退を余儀なくされるだろうという事態を想定し始めていた。にもかかわらず、「最後の勝負手」とばかりにイラク増派を決めた背景は何か。まず言えることは、レームダック政権の開き直りである。再選のない政権、しかも中間選挙の洗礼を受ける必要のなくなったブッシュ政権の最大の関心は、戦時政権としての歴史的評価である。イラク戦争に挫折した惨めで無能力な政権として歴史に名を残す可能性を打破するためには、いかに国民の支持が得られなくとも、イラクの安定化に何とか形を作って撤収したいという心理が強く働いているということである。

しかし、いかに「名誉ある撤退」を模索して最後の「力の論理」に踏み込んでも、ブッシュ政権のイラク政策は失敗の上塗りに終わるであろう。イラク情勢は完全に内戦化しており、年末のサダム・フセインの処刑も宗派間の憎しみの増幅をもたらしただけである。昨年末の段階で3015人だった米軍兵士のイラクでの死者は、新年に入ってのわずか20日間で3068人に達し、時計の進む音とともに米国に送り返される棺桶の数は増え続けている。イラク人のイラク戦争開戦以来の死者はどんなに少ない推計でも5万人を超す。

より深刻なのは、仮にブッシュ政権の思惑通りに「イラクの安定化」が進み、本年11月までにイラク政府に治安維持の権限を移管し終えたとしても、中東全域の安定にはつながらず、皮肉にも中東情勢の混迷に拍車をかけることになるであろうことだ。ブッシュ政権は、「イラクの民主化」という思い入れでつくりだしたシーア派主導のマリキ政権の「弱者の恫喝」に揺さぶられて撤退さえままならず、スンニ派を抑圧して「シーア派のイラク」を作り上げることに力を貸しているにすぎない。

イラク戦争後の中東で、最も力を得たのはシーア派イスラム、もっといえばシーア派のイランであった。何よりも、イラン・イラク戦争(1980〜88年)で血みどろの戦いを続けてきたサダム・フセインを米国が排除し、シーア派主導のイラクを作ってくれた。つまり、米軍撤退後はイランの影響力を限りなく高めることのできるイラクが作り出されたのである。しかも、米国のイラクでの「反イスラム的行為」(刑務所での虐待、住民虐殺など)を横目で見ながら、イラン国民は05年秋には、反米・反イスラエルを掲げる「革命原理派」のアフマディネジャド大統領を選択し、米国にとっては「最も危険で過激なイラン」が生み出された。核開発疑惑に関しても、国際社会の懸念をよそに、一切の妥協も協調もしない姿が見えてきたのである。

サウジとイスラエルの焦燥

米国の中東における最優先の同盟国ともいえるサウジアラビアやイスラエルにとって、ブッシュ政権の行動はあまりにも愚かで危険である。原則論として「イラクの安定」は望ましいが、イラクの影響力の高まる「シーア派のイラク」ができることは本音として願い下げである。サウジにとって同胞ともいえるスンニ派のイラクが、米国の力を借りたシーア派によって弾圧され存在感を失うことはパラドックスどころか悪夢である。しかも、シーア派主導のイラクということになれば、ペルシャ湾の北側にイランの影響力が重く広がるということで、そのためにイラン・イラク戦争期にもスンニ派のサダム・フセイン政権を支援してきた構図が灰燼に帰すことで、サウジの政権の基盤を揺るがしかねない事態なのである。

このため、サウジアラビアと米国の関係は、このところ一段と複雑さを増している。9・11の実行犯19人のうち15人がサウジアラビアのパスポートで入国していたという事実にもかかわらず、かろうじて米国との関係を持ち堪えてきた支柱ともいえる存在が、22年間もワシントンで駐米大使を務めたバンダル王子であったが、その後任としてワシントンに赴任したトルキー・アルファイサル王子が、昨年12月、わずか15ヶ月で駐米大使を辞し帰国した。様々な理由がとりざたされているが、イランとの対話路線のトルキー大使と、本国で国家安全保障相となっているバンダル王子の強硬路線の対立があるともいわれる。親米派のバンダル王子ではあるが、「イラクのスンニ派を救う」意識が強く、とりわけイランのシーア派のイラクへの影響力に強い警戒心を抱いている。米国としては、サウジの懸念にも配慮せざるをえない。

イスラエルの状況はより深刻である。イラク戦争については、「フセインの排除はイスラエルの安全にプラス」との判断が働き「イラク戦争はイスラエルのための戦争」という言葉さえ聞かれた。しかし、フセインを排除してみたら、その後ろから「シーア派イスラム」という「イスラエルの生存さえ否定する」もっと恐ろしいモンスターが躍り出てきた。イスラエルはイランの支援を受けたレバノンのヒズボラの攻勢を受けてレバノン侵攻に踏み出し、消耗戦を強いられた。また、パレスチナ情勢も、米国とイスラエルの強硬路線に刺激されて武闘派のハマスが政権を掌握して混迷を深め、今となっては「対話ぐらいは成立したPLOのアラファトが懐かしい」と思えるほどの血みどろの緊張関係に追い詰められている。

今そこにある危機

ブッシュ政権が本音ではイランの核施設攻撃計画をもっていることは、これまでも再三指摘されてきた。昨年4月末まではイラン中部のウラン濃縮工場への戦術核攻撃さえ検討しており、統合参謀本部の反対で断念したと言われる。しかし、この計画が新たな装いで息を吹き返しつつある。

イラク増派を決めた新政策でも明記しているごとく、「イラクにおけるイランとシリアの影響力排除」を実現しなければ、同盟国たるサウジ、イスラエルの離反さえ招きかねない。イランの影響力を削ぐ戦略を考え詰めると、イランが国際社会を揺さぶるカードともなっている「核開発」を叩き潰すというシナリオが再浮上する。国連などを通じた制裁圧力でイランを屈服させるのが望ましいが、軍事力でイランの野望を削ぐという選択肢も確保しておくという意思を固めつつあるといえる。

ペルシャ湾情勢は、新年に入って緊迫を高めている。米国は空母エンタープライズ、アイゼンハワーに加え、極東からステニスを2月までに配備、三空母艦隊という体制を整えつつある。潜水艦や機雷掃海艇をも配備しており、新年に起こった日本のタンカーと米潜水艦の衝突事故は、ペルシャ湾の緊迫を示す一つの傍証である。常識的には、米国がイラン攻撃に踏み込む可能性は低く、攻撃がもたらす中東情勢のさらなる混迷を考えればあってはならないシナリオであるが、ありえないとは断言できない。少なくとも、航空兵力やミサイルで核施設を攻撃できる体制を準備していることは確かである。米国にとってイランは、1979年のホメイニ革命以来、テヘランの米大使館占拠事件を巡る人質救出作戦の失敗など「ペンタゴンとトラウマ」ともいえ、26年間も国交断絶を続け、憎悪を蓄積してきた相手である。

イラン攻撃がもたらす日本にとってのインパクトはイラク戦争どころではない。中東に原油供給の9割を依存する日本にとって、ペルシャ湾、ホルムズ海峡の安全は死活要素である。しかも、イランとはホメイニ革命後も断絶せず、正式の国交を保っている。積年の中東との良好な関係を生かして、米・イラン間の意思疎通に日本が果しうる役割は小さくない。