連載「脳力のレッスン」世界 2006年8月号
脱9・11の時代に向けて
1901年2月2日、20世紀幕開けの年、ロンドン留学中の夏目漱石は、ハイドパークを埋める群集の中でビクトリア女王の葬列を見つめた。1837年から64年間、大英帝国の黄金時代ともいうべきビクトリア期に君臨したビクトリア女王の死は、「英国の世紀」といわれる19世紀の終りを象徴するものとなった。「7つの海に太陽の沈む時はない」とまでいわれた大英帝国の栄光はこの頃を境に急速に色あせていった。重苦しい新世紀のスタートであった。
2001年9月11日、21世紀幕開けの年、ニューヨーク、ワシントンを襲った同時テロは、おそらく「アメリカの世紀」といわれた20世紀の終りを象徴する世界史的転換点として記憶されるであろう。情報通信の発達によって、世界中の人々が自宅でのテレビ映像を通じて倒壊するワールドトレードセンターを同時体験に近い形で目撃したことは事件の衝撃性を高め、「9・11シンドローム」とでもいうべき思考停止状態に世界を巻き込んだ。21世紀も重苦しいスタートとなった。
イラク戦争は9・11シンドロームの帰結であり、泥沼化するこの不条理な戦争の構造を直視するならば、「衰亡するアメリカ」という21世紀への不吉な予感を与えるものである。そして、それは9・11シンドロームを受身でしか受け止めなかった日本にも暗い影を投げかけており、この局面での再考察と進路選択を求めるものでもある。
改めて、不条理な戦争を省察する勇気について
5月25日、国内での支持率低迷に苦しむブッシュ米大統領とブレア英首相の会談がホワイトハウスで行われた。会談後の記者会見で、イラク戦争を主導した両首脳は共にイラク政策の反省点に言及した。サダム・フセインの専制を排除したことの正当性を強調した上でではあるが、9・11からイラク攻撃に向かう局面において、「かかってこい」などという西部劇さながらの挑発的発言を繰り返したことについて、「誤ったシグナルを送った。もう少し洗練された表現にすべきだった」とブッシュ大統領は神妙に語り、アブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人虐待問題を「最大の失敗」と認めた。また、ブレア首相も、旧フセイン政権の支配政党バース党の解体について、「当時議論することは困難だったが、違うやり方もあった」と語った。
ブッシュ大統領は、イラク戦争開戦の理由とされた「イラクの大量破壊兵器の保有」について、「情報は誤りだった」ことを昨年12月に認めた。イラク戦争が不必要で不条理な戦争であったという歴史的総括はもはや確定したと言ってよい。私は、イラク戦争直前の本誌(「世界」2003年4月号)に「『不必要な戦争』を拒否する勇気と構想———イラク攻撃に向う『時代の空気』の中で」を寄稿し、開戦の根拠への疑問と「逆上するアメリカ」から適切な距離をとって日本がとるべき選択について論及した。その後の展開はイラク戦争があまりにも愚かで悲しい戦争であるかを証明した。
戦争の目的とされた「テロとの戦い」も、9・11へのイラクの関与が検証されたわけではなく、テロをイラクで封じ込めるどころか、「憎しみの連鎖」となって世界中に拡散した。また、「大量破壊兵器」は枯れ尾花に怯える虚構だったことが最終報告され、世界最大の武器輸出国たる米国に大量破壊兵器の制御にむけての指導力など期待すべくもないことを露呈している。さらに、「イラクの民主化」という目的も、イラク人による主体的政権が樹立されるならば、「シーア派主導の米国の思うに任せぬ政権」になるというパラドックスの中で迷走を続けている。世界の空気が「イラク戦争への省察」という冷静な思考を取り戻しつつある中で、日本の政治指導者、メディアにおいては、イラク戦争を支持した日本の政策判断への再考察も反省も不思議なほど見られない。対米協力の一心で軽薄な選択をした経緯と結果を誤魔化しなく直視しなければ未来は拓けないのである。
何よりもイラク戦争の悲惨な現実から目を背けてはならない。米国の兵士のイラクでの死者も、6月24日の時点で2518人となった。バグダッドを陥落させ、ブッシュ大統領が戦勝宣言をした時点で138人だった戦死者が、その後に2380人も増えたことになる。米国人の深層心理としては「9・11への報復戦争」という性格を内在させていると思われるイラク戦争だが、正に9・11の犠牲者とほぼ同じ数の屍をイラクで積み重ねたことになる。米国以外の多国籍軍の戦死者も224人であり、軍の活動を支援する形でイラクに入った民間人やジャーナリストなどの犠牲者を加えるとイラク戦争に参戦した国のイラクでの死者は3000人を超えたと推定される。日本人もジャーナリスト、外交官など6名が死んだ。
加えて、イラク人の死者は少なくみても4万人を上回るといわれる。イラク戦争を正当化するいかなる議論も空しい。4万数千のも墓標を前に立ち、その家族や縁者の悲しみ考える時、誰がやむをえない犠牲といい切れるであろうか。そして「政治的現実主義」の名のもとに、「日本は米国についていくしかない」という判断でイラク派兵を支持・容認した政治指導者、メディアの知的怠惰に深い幻滅を覚える。いかなる判断根拠と筋道で「イラクに自衛隊を送る」という国策上の重大な意思決定をしたのかを明確に検証し、今後の教訓としておくべきである。日本がいかに安易で愚かな選択をしたのか、厳しい歴史の評価が下されることは間違いない。
米国の深い悲しみとしてのイラク・シンドローム
19世紀の米国はわずか3回しか対外戦争をしなかった。その戦死者はわずか4400人にすぎなかった。モンロー主義の伝統の中で、国際紛争に巻き込まれることに慎重であった。20世紀の米国は、第一次大戦に参戦して以来、戦争まみれの百年を送り、戦死者は実に43万人となった。ベトナム戦争では5.8万人の戦死者を出しながら敗退、75年のサイゴン陥落以来、80年代末まで「ベトナム・シンドローム」を引きずっていたことは記憶に新しい。
その後、冷戦の終焉を経て、「平和の配当」「軍事技術の民生転換」などといわれた1990年代を通じて、本来は軍事技術として開発された情報ネットワーク技術を民生開放し、インターネットの登場に象徴されるIT革命を主導して「ITでよみがえるアメリカ」を創出してきた。軍事予算が3分の1も削減されるというクリントン政権下の8年を通じて軍事産業の合従連衡と再編統合の嵐が吹き荒れた。マクダネル・ダグラスはボーイングに吸収され、ロッキードとマーチン・マリエッタは合併し、名門グラマンやTRWはノースロップに吸収された。青息吐息の軍事産業を蘇らせたのは皮肉にも9・11であった。
クリントン政権最後の年、2000年に2945億ドルだった軍事費は、9・11からイラク戦争向かう展開を背景に急増、06年には5359億ドルとなり、07年には6000億ドルを超すと予想される。戦争が国家財政をいかに消耗させるかを示すものだが、米国の軍事産業は活況を呈し、かつてアイゼンハワー大統領が退任演説で警告を発した「産軍複合体」へと米国の産業を回帰させた。兵器産業のみならず戦争をビジネス機会とする産業が隆盛を誇り、戦争に依存して繁栄を維持する産業体質の国に回帰したのだ。
イラク戦争を通じ、米国の産軍複合体がさらに複雑な構造に変化していることを知った。「戦争の民営化」とでもいうべき事態が進行し、イラクでの米軍の活動を支える民間企業の存在が重くなり、物資輸送、郵便配達、給食などの軍用サービスの3割近くがPMCS(PRIVATE MILITARY COMPANIES)と呼ばれる下請け事業会社によって支えられている。チェイニー副大統領が2000年まで5年間CEOをしていたハリバートンの子会社であるKBR社がその代表格で、戦争に群がる企業群が不透明な受注によって潤っているという構図まで明らかになった。ピーク時には1万人を超す民間人がPMCSに雇われてイラクで働いていたといわれ、戦争に利害を共有する人たちの複雑化に溜息の出る思いである。
イラク戦争に向うブッシュ政権を支えるチェイニー副大統領を中心とする勢力に関し、「ネオコン(新保守主義)」という表現が使われていた。ユダヤ勢力と宗教右派が絡み合った歴史的経緯を背負った存在としてネオコンは認識されるべきだが、「米国の理念(政治的には民主主義、経済的には市場主義)を米国の力(軍事力)で実現する」というその志向が、あくまで少数派にすぎない存在にもかかわらず、9・11という衝撃を受けて瞬間風速とはいえ米国を支配する時代の空気となった。私は、1950年代の米国を襲った「反共パラノイア」とでもいうべき「マッカーシズム」になぞらえて、恐怖心と力の論理が絡み合った「第二のマッカーシズムが米国を覆っている」と指摘したが、8割の世論が支持してイラク戦争に踏み込んだ米国は目が据わったような殺気に満ちていた。
しかし、イラク戦争から3年が過ぎ、現在のアメリカを支配している空気は憑き物が落ちたような失望感に満ちたものである。イラク戦争での犠牲者の増加とか財政的な消耗という要素もあるが、決定的だったのは昨秋にニューオリンズを襲ったハリケーンのインパクトだった。あのハリケーンによって米国は自らの歪んだ自画像を見せ付けられた。州兵の多くがイラクに派遣され、その間隙を突く形で襲ったハリケーンは、「貧困なるアメリカ」の実態を炙り出し、「イラクに出向いて民主主義を説いている場合ではない」との思いを多くの米国人に抱かせたのである。
また、「イラク戦争は石油のための戦争ではない」と否定しながらも、テキサスの石油資本の一部に「サウジに潜在不安があるなら、イラクがあるさ」的な気分でイラク戦争を支持した空気が存在したことも確かで、米国民の潜在意識には「イラクの石油を支配したはずなのに、ガソリン価格が高騰し、生活を圧迫してくるのは何故だ」という不満が高まっていることも否定できない。「石油権益を確保した上でのイラクからの静かなる撤退」を望む心理に米国民が向っているといえる。
イラク戦争を通じて米国が失ったものは、指導国としての理念的正当性であろう。「理念の共和国」という表現があるごとく、米国の魅力はこの国を最後の希望の地として移り住んだ移民によって支えられた「開かれた国」としての輝きであり、「自由と民主主義の実験国家」としての理念的先行性であった。その敬愛すべきアメリカが一気に色褪せ、偏狭な自国利害中心主義と価値押し付け主義に埋没してしまった。少なくとも、かつての米国の戦時大統領が、第一次大戦のW・ウィルソンの「国際連盟構想」にせよ、第二次大戦期のF・D・ルーズベルトの「国際連合」「IMF・GATT」構想にせよ、戦後の世界秩序へのビジョンを模索していたのに比し、ブッシュ政権のメッセージには「悪漢を懲らしめる正義の保安官」という役割への陶酔以上のものが見られない。指導力が理念的正当性を失うことは混迷を誘発する。世界の空気が偏狭なナショナリズムに満ち溢れているのも、実は世界秩序の中心に立つべき米国の矮小化した表情が投影しているともいえるのである。
日本の選択がもたらしたもの
イラク戦争と日本との関りについて、日本人が明確に認識しておかねばならないことがある。それは、日本はイラクを攻撃し、破壊し、殺戮した側に立ってイラクに国際法上の正規の軍隊を送ったという事実である。日本人には、イラクの復興支援をする善意の第三者としてイラクに自衛隊を送ったと思いたいという心理が存在するが、現実はそんな話ではない。イラク人、そして反米イスラム勢力の目線からは、米国に呼応して多国籍軍の一翼を担う形で軍隊を送った日本ということなのである。
派遣された自衛隊員の立場からすれば当然であるが、万一捕虜になった場合や人を図らずも殺傷した場合、正規の軍隊に帰属する立場でなければ個人としてのリスク負担を余儀なくされるわけで、国際法上の正規の軍人というステータスを確保しなければ身動きできない。ところが、「非戦闘地域」での「復興支援」に限定して軍隊を送るという枠組みでの派遣となったために「治安活動はしない軍隊」として、世にも珍しい「他国の軍隊に守られた軍隊」という形でイラクに立つことになった。英国軍や豪州軍に守られて「非戦闘地域」で復興支援活動だけに専念するのであれば、「国際緊急援助隊」というスキームでも復興支援に参画できたはずだ。例え実体的には自衛隊を中核にして派遣するにせよ、スマトラ地震の復旧活動への派遣のごとく、あくまでも医療活動などに特化する緊急援助隊として派遣していたならば、憲法上の疑念もアジア諸国の警戒も招くことなく「善意の復興支援」として評価されていたであろう。
何故、小泉内閣は正規の軍隊の派遣というスキームにこだわり続けたのか。それは、あわただしく成立させた「イラク復興支援特別措置法」(2003年7月)の構造に滲み出ている。イラク復興支援特別措置法の目的は二重構造になっており、建前としてのイラクの復興支援の背後に本音としての対米協力(米軍の軍事行動の後方支援)という意図を有しているのである。背景には湾岸戦争時のトラウマがある。あの時、多国籍軍支援・周辺国援助という名目で130億ドルもの金を拠出したが、必ずしも感謝されなかった。「金だけではダメだ。汗もかくべきだ」との空気が日本外交の対米窓口を担う「親米マフィア」のトラウマとなった。9・11以降、米国の高官がそこはかとなく漂わせた「ショウ・ザ・フラッグ」に呼応して自衛隊をインド洋へ、「ブーツ・オン・ザ・グランド」に呼応して自衛隊をイラクへという流れが作られ、慌しく「特別措置法」を積み上げ、深い政策論的検討もないまま、対米協力だけを本音とするイラク戦争関与の流れが形成された。
9・11からイラクへ。血なまぐさい報道が繰り返され、国際法理や国際協調をあざ笑うかのごとく「力こそ正義」の潮流が見えてくると、「軍事力なき大国はない」という誘惑や、「口先だけの同盟責任ではなく行動を」という焦燥が勢いを得て、正に泥縄的意思決定(バスに乗り遅れるな)としかいいようのない判断で、「イラクに自衛隊を」が合意されていった。戦後日本が踏み固めてきたはずの「平和主義」も吹き飛び、憲法を一切改正することもなく「解釈改憲」でイラク派兵が決定された。即時的同一化という日本人の傾向、原則論を熟慮することなく、時代の空気でいかようにも変容し、一気に合意を形成する危うさを示したといってよい。戦後のドイツが苦心の末、憲法を改正して海外派兵したのとは対照的である。
小泉政権に同情的にいえば、バトンが回ってきた時には準備不足で「他に選択の余地はなかった」という事情もある。冷戦が終わってからの90年代、日本は自民党単独政権たる宮沢内閣崩壊後の政界再編・政局不安定の状態にあり、冷戦後の世界における日米関係について、本質的な見直しをしなかった。欧州が米軍兵力の大幅削減や米軍基地の縮小を進め、新しい米欧関係を志向したのに対し、むしろ日本は97年の「日米安保ガイドラインの見直し」に象徴されるごとく、「極東条項」の拡大解釈(極東有事とは地理的概念ではなく、事態の性格により判断する)など米国の世界戦略に共同歩調をとる方向付けを加速させた。「基地の縮小」も「地位協定の改定」も一切要求することなく、日本の主権と主体性の回復に努力しなかった。そうした状態で、出会いがしらに9・11に直面した小泉政権が「米国と一線を画した主体的イラク政策」など展開できる地合はなかったともいえる。
しかし、それでも米国の中東戦略と日本の中東への関与は一線を画すべきであった。中東地域の紛争に血まみれで介入し続けてきた米欧諸国とは異なり、日本は中東のいかなる国に武器輸出をしたこともなく、紛争に武力介入したこともなかった。このことは、日本人の認識以上に中東地域の人達から評価され、友好関係の基盤となってきた。サダム・フセインのイラクとさえ1979年以来、国交を維持し続けたし、現在「核開発」で問題となっているイランとも国交を有し、米国にとっても日本の中東チャンネルは時に有効な調整弁の役割を果たしてきた。にもかかわらず、その立場を放棄して「対米協力」のための有志連合に軍を派遣したことは、中東戦略上は拙劣であった。
そして、この選択が日本外交の厚みのなさを印象付け、アジア諸国にも深い失望を与えたことに気付かねばならない。国連合意さえない先制攻撃に、憲法論議さえ飛び越えて「対米協力」に邁進する日本の姿に、「米国周辺国」にすぎない日本を見て、「21世紀のアジアのリーダー」としての期待感が霧消したと語るアジアの国際問題関係者に何人も会った。実は、このことが昨年日本が提案した国連改革案(G4案)に賛成したアジアの国はモルジブとブータンだけという悲惨な結末につながったとの見方もある。つまり、「日本が安保理の常任理事国になってもアメリカの一票を増やすだけ」という冷ややかな空気を醸成したというのである。
脱9・11の時代を誤らないために
6月上旬、欧州を回ってきたが「脱9・11へのパラダイム転換」が印象に残った。ブッシュ政権の盟友ともいえる役割を果してきた英国のブレア政権は一段と求心力を失い、労働党政権は危機的状況にある。米国に賛同してイラクに轡を並べたスペインもイタリアも政権が変わり、イラクを去った。米国のイラク攻撃と一線を画したドイツやフランスでは、むしろ対米関係の改善・修復が試みられているが、欧州全般の意識にはブッシュのアメリカ路線への蔑みと警戒の空気が漂っている。
6月21日、ウィーンでのEU首脳会議に参加した後の記者会見で、ブッシュ大統領は「オーストリアでは、米国の行為は平和のためになるという世論はわずか14%で、64%は平和に反するとみている。何故、欧州人を説得できないのか」との質問を受け、「世論調査に動かされる政治はしない」と強弁したものの、米国の欧州での孤立を際立たせた。
また、ユーラシア大陸全体を見渡して、状況は米国が9・11以降に展開してきた「力の論理」では制御しえない方向に向かっているといえる。例えば、上海協力機構の動きが注目される。6月15日、上海において上海協力機構の創立5周年首脳会議が開催された。基本的には中国とロシアの連携に中央アジア4カ国(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタン)を引きこんだ地域協力機構だが、中露の連携が深化していることに加えて、昨年あたりからインド、イラン、パキスタン、モンゴルなどもオブザーバー参加して、性格を変え始めた。グローバル化する経済を背景に相互依存関係が深化している中で、決して「反米同盟」と言い切れるほど単純ではないが、ユーラシアのパワーゲームにおいて「米国の一極主義的支配を許さず」という共通の意思を抱く国の連携が深まっているということはできる。昨年9月には、9・11以後、中央アジア(ウズベキスタン、キルギスタン)に展開していた米軍基地の撤退を要求、方向転換を印象付けた。
米国もグルジア、ウクライナなどで親欧米政権樹立を支援、「民主化ドミノ」という流れを中央アジアに構築しようと躍起であり、情勢は複雑である。インドに急接近し、実質的核保有容認と原子力技術供与まで妥協しているのも、上海協力機構からのインドの切り離しを狙った苦肉の策とみられる。ともあれ、ユーラシア大陸全般に米国の思うに任せぬ展開に入っていることは確かであり、「脱9・11」に向けて流れは変わりつつある。
その中で日本は、「世界の中の日米同盟」をキーワードに、米国との同盟を強化することでユーラシアの新たなダイナミズムに向き合おうとしているかにみえる。小泉外交のレトリックでいけば、「日米同盟が強固であればあるほどアジアとの関係にも良好」となるのだが、米国の抑止力だけを頼りに中国、アジアと向き合うという認識は大きく時代潮流を踏み外しているといわざるをえない。何よりも、アジアは日米同盟だけを頼りとする日本をリーダーとして敬愛しないし、「戦略的パートナー」だろうが「戦略的競争者」だろうが、米国も中国を強く意識したアジア外交を模索しており、「日米同盟も大切だが中国との関係も重要」という相対的ゲームに変わりつつある。イラク戦争を転機として米国の「全能の幻想」「無謬性の神話」が崩れていく中で、米軍の世界戦略と一体化させる同盟強化を選択することは不必要なリスクとコストを抱え込むことになりかねない。熟慮の時である。
最後に、これまでの議論を踏まえて21世紀の日本外交の基軸とすべき3項目を明確にしておきたい。
第一に、米国をアジアから孤立させぬこと。真の同盟国として、米国の単独覇権主義を抑制する努力をし、国際協調を志向する新世界秩序への責任ある指導国としての役割を自覚せしめること。当然のことながら、この役割を果たすには、アジアに影響力を持つ日本であることが重要で、アジアから孤立した日本では意味がない。
第二に、中国を国際社会のルールに参画させること。知財権、環境保全などの分野で粘り強く国際社会への責任ある関与者となるよう知恵を出すこと。東アジアの連携については、金融、環境、食料、エネルギーなど個別課題での実利にかなった相互連携のスキームを段階的に積み上げること。
第三に、日本自身も、国際法理と国際協調に生きること。ICC(国際刑事裁判所)への参加の遅れなど、日本も国際機関を尊重し参画する姿勢に欠ける面があり、国連安保理常任理事国入りを求める以前に、日本としての筋道を貫く覚悟が必要である。その際、「非核平和主義」の貫徹など日本外交を際立たせる理念性を見失ってはならない。日本近代史の省察を踏まえ、歴史の評価に耐える外交を志向すべきである。

