連載「脳力のレッスン」世界 2005年12月号
団塊の世代の正念場
人間は時代の子である。本人の意識とは別に、生きた時代によって深く影響される。私も昭和22年生まれの団塊の世代として、戦後なるものと並走し、時代の空気を呼吸してきた。昨今、「2007年問題」という表現で団塊の世代の大量退職が話題にされることが多い。我々の世代も職場を支える時代を終えつつあるということである。
第二次大戦後、昭和25年あたりまでに生まれた世代を約1,000万人として団塊の世代とするならば、この人口の塊が通過する時、日本の社会構造に衝撃が走った。受験地獄、全共闘運動、そして今、本格的な高齢化社会をもたらす主体として、この世代の動向が注目されるのである。私は、「われら戦後世代の『坂の上の雲』」(1980年9月号「中央公論」)、「団塊の世代の責任と使命」(1999年9・10月号「VOICE」)と、節目ごとに団塊の世代の性格と役割を問い詰める論稿をまとめてきたが、この時点で団塊の世代の意味を再考してみたい。
団塊の世代の自画像―恵まれた世代として
自ら団塊の世代として振り返るならば、1970年代初頭に社会参加して以来、総じて恵まれた世代であった。団塊の世代が就職戦線に立った1970年前後は、大阪万博に象徴される高度成長期であった。1966年に1人あたりGDPが1,000ドルを超し、モータリゼーションが一気に加速した時代でもあった。社会人としても、所謂「右肩上がり」の時代を生き、1980年代後半のバブル期には、40歳台前半の中間管理職としてバブルの恩恵を享受した。1990年代に入り、バブル崩壊後はリストラのターゲットとされ、息苦しくなってはきたが、定年退職を迎えるまで勤め上げた者は終身雇用制度の最期の受益者となり、2006年からの4年間での定年退職者は3,000万人、支給される退職金は80兆円とも推定される。
この世代が身につけた価値観を凝縮するならば、一つは経済主義といえる。もちろん個人差はあるが、団塊の世代が育ち、生きた時代は、日本経済が復興から高度成長に向かう時代であった。政治的にはイデオロギーの対立の時代でもあったが、敗戦を「物量の敗戦」と総括した国民の唯一のコンセンサスは「経済的豊かさの実現」であった。松下幸之助が提唱したPHP(繁栄を通じた平和と幸福)は、この時代の日本人の心に響いた。それ故に、この世代が身につけたものは、程度の差こそあれ、「経済」への思い入れであり、「拝金主義」ともいえるほど経済的価値を重視する傾向を内在させた。
二つは私生活主義である。私生活主義は個人主義とは異なる。個人主義とは全体が個を押しつぶそうとしても自らの思想・信条を貫く意思に満ちたものであるが、私生活主義とは「他人に干渉したくもされたくもない」というライフスタイルにすぎない。強制や抑圧のない社会と戦後民主主義という環境に育ち、個としての自己主張を身に付けているが、国家や社会の不条理を味わい尽くす体験をすることなく生きてきたことによる虚弱さを内在させている。山崎正和は「柔らかい個人主義」と呼んでいたが、現実は田中康夫の「なんとなくクリスタル」に近い自分の身辺事象へのこだわりというべき心象風景を内在させた世代といえるであろう。
厳しく自画像を描くならば、戦後日本人の先頭世代として、経済主義と私生活主義を掛け合わしたような価値観の下に行動を選択し、戦後日本なる状況を形成してきた。確かに、音楽や文化などの領域で新しいものを創造した面もあるが、団塊の世代が何かを創造したのかを自問するならば、何かをやり残しているとの思いが強い。
団塊ジュニアへの責任
第二次ベビーブーマーといわれる「団塊ジュニア」とは世代論的には1971年から74年生まれの人口の塊だが、この世代の両親は必ずしも団塊の世代と重ならない。団塊の世代の子供達という意味では、1975年から79年生まれを「真正団塊ジュニア」というのだという。厳密な定義は別にして、団塊の世代が25から35歳の間の年頃に生まれた子供の世代を広義の「団塊ジュニア」と呼ぶならば、大阪万博以後の1971年から1984年生まれ辺りまでが含まれるということである。現在、35歳から20歳までの世代ということで、この世代の人間形成に親の世代である団塊の世代が与えた影響は計り知れない。
1997年、私は10年間の米国生活を終え帰国したが、出会い頭に衝撃を受けたのが、神戸の14歳の少年「酒鬼薔薇聖斗」による首切り殺人事件であった。重くのしかかったのは犯人の少年の両親がともに昭和25年生まれの団塊の世代だったことだ。その3年後、「荒れる17歳」として少年犯罪が多発し、その子供達の世代が、今や25歳前後となり、我々の身の回りに社会参加しているのである。
あの事件を起こした少年の両親が、「『少年A』この子を生んで・・・・・・父と母 悔恨の手記」(文藝春秋、1999年)を刊行し、興味深く分析してみた。気付いたことは、この少年が特異な環境に育ったわけではなく、団塊世代が持ったどこにでもある「ニューファミリー」育ちだったことであり、両親は躾や家族の意思疎通に腐心したことを懸命に語っていた。では何が問題だったのか。驚くべきは、両親の本に一切出てこない言葉である。つまり、「社会」とか「時代」という言葉に繋がる問題意識が存在しないということである。ここに見えるのは、我々の世代は、せいぜい「他人様に迷惑をかけなければ、ホラービデオだろうが、バタフライ・ナイフだろうが好きにしていい」程度のメッセージしか子供に発しなかったということなのである。
私生活主義に埋没し、「社会」とか「時代」の課題に必死に向き合う姿を見せなかった。それで済んだ時代環境だったとも言えるし、「滅私奉公」の時代を否定して成立した戦後社会に生きたために、公共とか社会に関わることにためらいを感じてきた。実は、ここに経済主義と私生活主義の陥穽と弱さが凝縮されているのではないか。
昭和25年生まれの畏友残間里江子が「それでいいのか蕎麦打ち男」(新潮社、2005年)と題する本を出版した。老け込み気味の団塊男に喝を入れる手厳しい内容であるが、考えさせられた。確かに、我々の周りには、定年を前にして、蕎麦打ちや陶芸に打ち込んだり、急に家庭的な生き方に回帰する人間が増えた。悪いこととは思わないし、内省から生まれるものへの期待もある。だが、私生活主義から一歩も出ない老成ならば問題である。団塊の世代が「傘の雪」となって後代世代にのしかかるのか、社会を支える側に回るのかによって高齢化社会の様相が変わるといっても過言ではない。
それを「新しい公共」と呼ぶべきが、国家とか権力による強制ではなく、主体的参画によって公的分野を支える行動を志向することが鍵となろう。官対民という構図だけで議論することが多いが、実はいかなる社会においても、官と民の間の「公共」という分野を誰かが支えないと人間社会は成り立たない。団塊の世代が、地域社会の文化・教育・福祉から地球環境まで、もう一度眼を向け直して、自らの関心と適性を判断して、何らかの形で公共という分野で汗を流す方向に向かうならば、高齢化社会は暗い展望に引き込まれる必要はない。カセギ(経済的安定)とツトメ(貢献)は大人が大人である要件であり、そのことを担う団塊の世代の最期の転機における覚悟が問われている。私は「一人一つのNPO」という志を持って、自分の能力、性格、趣味にあった形での参画が鍵だと思っている。

