連載「脳力のレッスン」世界 2005年9月号
小泉外交の晩鐘〜政治的現実主義の虚妄
1.検証―日本の品格と理念を見失わせた責任
日本外交は八方塞がりの中に立ち尽くしている。「反日デモ」騒動に象徴される近隣諸国との信頼関係の喪失、国連常任理事国問題によって顕在化した国際社会での希薄な存在感、とりわけ米国の示した国連改革拒否の姿勢によって炙り出された日米同盟の底の浅さ、多くの日本人は戦後日本外交の帰結ともいえる寂寥感を噛み締めている。
例え孤独であっても、筋道を通した「栄光ある孤立」ということもある。しかし、日本人として残念なことに、決して条理と理念を貫いて孤立したのではなく、条理と理念を見失って迷走した小泉外交といわざるをえないのである。小泉外交を巡る三大噺ともいうべき、イラク戦争、北朝鮮問題、靖国問題を振り返ってみよう。
イラク戦争という不条理への加担
小泉外交は、発足4ヶ月半後の「9・11同時テロ」がもたらしたパラダイム転換に振り回され続けた。「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫んだブッシュ大統領が率いる逆上する米国によって、政策の方向付けを定められた。9月19日には、小泉首相が「米軍の後方支援のため自衛隊の海外派遣を表明」、10月29日にはテロ対策特別措置法が成立した。背景には、湾岸戦争の時、130億ドルもの資金援助をしたにもかかわらず、決定のタイミングが遅れて感謝されなかったというトラウマが存在した。米国の高官が「ショウ・ザ・フラッグ」と言っているという話が伝えられ、アフガン攻撃に向かう米国を支えて「インド洋へ自衛隊を」という方向に突き進んだ。
それでも、アフガン攻撃までは国際世論も国連も米国の行動に同情と理解を示していた。 しかし、国連の手続きさえ無視してイラク戦争を強行するブッシュ政権のネオコン路線(力による米国の正義の実現を目指す単独行動主義)への反発と嫌悪が高まっていった。
イラク戦争が「不必要で不条理な戦争」であったことは、既に歴史的評価が定まったといえる。米国がイラク戦争を正当化する理由としていたものを思い起こしてみよう。まず「テロとの戦い」が掲げられた。9・11への報復戦争としての心理を内在させたイラク戦争であったが、9・11とイラクの因果関係は検証できなかった。「イラクをテロの温床にしない」との論理も、むしろイラク戦争を機に、スペイン、インドネシア、そして英国とテロは世界に拡散し、完全に破綻した。
次に「大量破壊兵器」を保有するイラクの脅威が語られた。だが、大量破壊兵器は結局存在しないことが確認された(米上院特別委員会報告)。さらに「イラクの民主化」が声高に主張されたが、このスローガンがいかに虚構に満ちたものかは、アブグレイブ刑務所でのイラク人捕虜の虐待と米主導の暫定統治機構(CPA)下での石油収入の不正利用という事実を直視すれば多言を要さない。シーア派とクルド族が主流となって設立された暫定政権も、米軍撤退以後を睨んだ主導権争いを内在させた「恐怖の均衡」であり、とても民主化のステップなどと楽観できるものではない。
このイラク戦争という不条理に日本は加担してしまった。持ち堪えるべき一点の正気のために自問自答してみよう。イラク戦争開戦以降のイラクでのイラク人の死者は控えめな推定でも3万9千人(ジュネーブ高等国際問題研究所)とされ、米軍兵士の死者も1,767人(7月17日現在)、多国籍軍合計の死者も1,961人となった。日本人も外交官、ジャーナリストなど六名が犠牲となった。誰がこれらの墓標の前で、正当な戦争の妥当な代価と言い切れるであろうか。「せめてサダム・フセインという危険な専制体制を排除できたことはいいことだ」という正当化が心をよぎる。しかし、日本はサダム・フセインが1979年にバース党政権の第二代大統領となって以来、サダム政権下のイラクと友好関係を継続し、サダム体制による専制・抑圧を指弾したこともなければ、危険を認識してもこなかったのだから、後追い的にサダム批判に同調することは薄汚い自己正当化にすぎない。また「誰がサダムを育てたのか」という表現があるが、ホメイニ革命によってイランに煮え湯を飲まされた米国が、イラン・イラク戦争を通じてサダムを支援し、増長させたことは明らかで、米国の中東戦略失敗の歴史に振り回されたのである。
ノーベル経済学賞受賞者アマーティア・センは、「私は、イラク戦争で日本がもっと独立した立場をとらなかったことに失望した。豊かな民主国家である日本のような国が、単独行動主義を抑え、多国間主義を主導すべきだ」(朝日新聞05・7・18)と語るが、この論調は、私が出会う世界の知識人に共通するものでもある。
日本と中東の関係は、「敵の敵は味方」という短期利害で血塗られた歴史を繰り返してきた米国とは異なり、いかなる地域紛争に軍事介入したことも、武器輸出をしたこともないという独特のもので、中東の人々からも一定の敬意を得てきた。その立場を棄て、国連で合意さえない先制攻撃に荷担し、殺戮する側に立って国際法上の正規の軍隊をイラクの地に送った思慮の浅さが際立つのである。外交の基本は自国民の安全を確保することであり、自国の青年の血を無駄に流させないことにある。憎しみの連鎖を断つ側に立つのではなく、増幅する側に加担することで失ったものはあまりにも大きい。
小泉訪朝とその挫折
2002年9月17日、小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪問、「日朝平壌宣言」に署名した時、多くの日本人は「これで東アジアの冷戦後のパラダイムが見えてきた」と期待し、日朝の国交正常化に向けて主導性を発揮した小泉首相を評価した。
北朝鮮の態度の軟化には伏線があった。隣国ソ連の崩壊、中国の改革開放路線への転換を横目で見ながら、北朝鮮も国際的に孤立することの危険を察知し始めた。2000年6月には金大中韓国大統領の訪朝という形で南北朝鮮会談が実現、朝鮮半島に和解と統一への道が見え始めた。21世紀に入ってからは、2001年1月のイタリアをはじめオーストリア、英、独、スペインと欧州の主要国と順次国交を樹立、その極めつけが拉致問題を認めてまでの日朝首脳会談の実現であった。
小泉訪朝の成果についてのメディアの質問を受けて、私は「鍵を握るのはアメリカの本音だ」と発言した。心にあったのは「米国は日朝の国交正常化を本気で望むだろうか」という疑念であった。ブッシュ政権は韓国の金大中による南北朝鮮会談が米国の頭越しで行われたことに不快感を隠そうとせず、2000年の米大統領選挙で金大中政権が在米韓国人を動員してまで民主党のゴア候補を支援したことへの意趣返しもあって、米韓関係に小波が立ち始めていたのを目撃していたからである。2002年の1月の一般教書で、ブッシュ大統領は北朝鮮を「悪の枢軸」の一角たる「テロ国家」と名指しで批判しており、米国の意向を飛び越えて、日本が主体的に北東アジアの安全保障問題に踏み込むことを了解するとは思えなかった。
果たして、米国は日朝国交正常化を歓迎するとしながらも、J・ケリー国務次官補を平城に派遣、核疑惑を引き出して北朝鮮への不信を投げつけた。日本人は拉致問題への怒りと核疑惑に凍りつき、国交正常化は雲散霧消し、小泉訪朝は元の木阿弥となった。冷静に振り返ってみよう。クリントン政権時には、米朝交渉を受けて日本は北朝鮮の軽水炉転換のための資金負担1,000億ドルを約束させられ、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)に対して既に三・七億ドルを拠出済みである。米国の政権が変わり、北朝鮮が悪の枢軸となると、KEDOの話は霧消し、曲折を経て「6カ国協議」なる仕組みが浮上する。
北朝鮮問題の本質は米中関係である。北朝鮮のGDPは150億ドル前後で、日本の県別総生産の最下位たる鳥取県よりも小さく、中国がエネルギーと食糧を支援していることで存続している「中国周辺国」である。中国にとって当面は北朝鮮という体制の存続が望ましく、「6カ国協議」を仕切って米国との交渉力のために利用しているといえる。従って、北朝鮮問題の帰趨は一に米国と中国の関係に左右されると見抜くべきである。
21世紀の米国のアジア戦略についての米国側のレポートに共通するのは、「アジアに覇権国家を作らない」「米国のアジアでの影響力を最大化して残す」という戦略意思であり、それはアジア内部の利害対立を利して影響力を高めるという分断統治を志向することを意味する。従って、日本がアジアとの連携を模索することは、米国との関係の再構築への覚悟が求められることを認識しなければならない。靖国への基軸なき対応
米ブッシュ政権内部にいた友人から、小泉政権がスタートした時、米国側に一寸した緊張が走ったという話を聞いた。「A級戦犯が合祀されていようが、8月15日に靖国神社に参拝する」という首相の登場に、日本に本格的ナショナリスト政権が登場したのかと身構えたという意味である。小泉首相の論理を延長すれば、A級戦犯を裁いた東京裁判そのものの正当性を否定してくる可能性、さらには東京裁判を受け入れたサンフランシスコ講和条約を破棄する可能性さえ予感させるものだからであった。
ところが、その後の小泉政権は米国側も驚くほどの対米協調政権であり、変則的な靖国神社参拝を繰り返しながらも、米国を不安にさせるナショナリストではないことを証明してきた。靖国神社参拝の理由を問われると、「二度と戦争を起こさないために」という言葉を繰り返してきた。そして、2005年6月の国会での質疑において、小泉首相は決定的発言をした。近隣諸国が問題視している「A級戦犯」について、A級戦犯は戦争犯罪人だという認識を示したのである。この瞬間、小泉首相の靖国神社参拝の意図は、靖国神社を敬う多くの人々の意思とは異なることが明確になった。靖国神社においてA級戦犯の人達は「昭和殉難者」であり、歪んだ東京裁判の犠牲者なのである。東京裁判史観を自虐として否定する筋金入りの右派の人にとっても、靖国神社を戦前の軍国主義の象徴として拒否する左派の人も、愕然とするような希薄な論理性で参拝を繰り返していることになるのだ。ただし、ここでも東京裁判を守り抜くという対米配慮だけが滲み出てくるのである。
もし、「二度と戦争を起こさないために」祈りをささげるのであれば、小泉首相は究極の平和主義者ということで、祈りの対象が靖国神社である必要はないことになる。ただ「近隣からとやかく言われたくない」という日本人に内在するナショナリズム的情動に訴えて、近隣に侮られないゲームを演じてみせているだけである。評論家の中には「小泉さんは軸がぶれない信念の人」であるかのコメントをしている人もいるが、4年間の小泉首相の行動を整理すると決して一貫しているとはいえない。2001年の9・11後のAPEC上海大会を前にして小泉首相は日帰り(10月8日)で北京を訪問し、空港から盧溝橋に直行して「謝罪」した。また、ソウルにも日帰りで訪れ、日本人が拷問していたとされる刑務所跡地で「謝罪」した。背景には、APECにおいて「テロとの戦い」に向けて東アジアに結束の乱れがあっては困るという米国の要請と期待があった。また、靖国神社問題も影響して「反日デモ」のような騒ぎに至ると、本年5月のバンドン会議での日中首脳会談おけるごとく村山首相声明を持ち出して「反省と謝罪」となるわけで、「近隣にとやかく指図されたくない」という自尊と謝罪がバイオリズムのように交錯してきたことが分かる。
靖国神社問題を「近隣に配慮して参拝すべきか否か」という構図にすることは、問題を民族の面子の問題に追い込んでしまう。国の指導者がとるべき姿勢は、この問題を政治化して利用しようとする国内外の圧力から超然とし、深い歴史観と広い世界観に裏付けられた国家の優先事項を探求することである。私はこの連載で「東条英機の遺書」について触れた(04年12月号「指導者と意思決定責任」)が、戦争の最高責任者だった東条英機自身が絞首刑となる直前に「日本が大東亜戦争において誠意を失い東亜民族の真の協力を失った事が敗戦の真因であった」と書き残していることを注目したい。東条自身が自らのことがアジア諸国の協力の障害となることを望んだであろうか。我々が歴史の教訓として専心すべきはアジアの相互理解と協力の深化である。
2.考察―外交インフラの劣弱さ
結局、小泉外交を貫く要素は「対米配慮」に収斂する。9・11に襲われ、テロへの恐怖心が力への過信と結びつき戦争に突き進むブッシュ政権に対して、「この国を守ってくれるのはアメリカだけだ」「他に選択肢はない」といって自らに言い聞かせ、この国がアメリカ周辺国でしかない構図を世界に示してしまった。政治的現実主義の名のもとに、条理を尽して21世紀の日本外交を拓く努力を放棄したのである。「仕方が無いじゃないか」としてうつむく日本に対し、アジア諸国をはじめ世界は新世紀のリーダーを感じない。そのことが、国連常任理事国問題にも投影されている。「日本が常任理事国になっても、アメリカの一票を増やすだけ」との冷笑が覆っているのである。
小泉外交が「対米協調」の固定観念に埋没してきたといって、それをすべてこの政権の責任に帰することは酷かもしれない。準備不足のまま9・11迎え、逆上する米国に向き合わざるをえなかったという事情もある。小泉内閣にバトンが回った時は、他に選択肢の無い状態に追い込まれていたともいえる。宮沢内閣が崩壊して以来、日本は短命な連立政権の隆替を繰り返し、腰をすえて冷戦後の日本外交を模索する状況にはなかった。ドイツが93年の地位協定(ボン補足協定)改訂によって在独米軍基地に関する主権回復に踏み込んだのとは対照的に、日本は1997年の新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)において米国の世界戦略により深く組み込まれる形での「周辺事態」の認定に踏み込み、選択肢を狭める形で21世紀を迎えた。加えて、小泉外交は田中真紀子、川口順子という二代の外相の間に、外務省の迷走、指導力の沈下という事態に直面し、総合戦略的外交が機能しなかったという事情も看過できない。
「小泉・ブッシュの信頼関係が良好な日米関係を実現している」とか、「対米協調こそ日本の国益に合致し、イラクに自衛隊を送ったことで日本の主張も米国に受け入れられ易くなった」といった論説を耳にしてきたし、米政府の関係者からも何度となく「小泉の対米協調路線で日本は得をしている。6カ国協議に日本が参加できるのも米国の後ろ盾あればこそ」という説明を受けた。しかし、日本人が克服すべきは正にこの歪んだコンプレックスではないか。米国の覚えめでたさを背景に「名誉白人的処遇に優越感を抱いてアジアと向き合う」パラダイムからの脱却が課題なのではないのか。
もう一つ、日本外交を迷走させる要因として、情報基盤の劣弱さを指摘せざるをえない。イラク戦争を巡る首相の発言で「大量破壊兵器があるかないか自分に聞かれても分るわけがない」とか「サダム・フセインが見つからないといって、サダム・フセインがいなかったわけではない」などという貧弱なレトリックが耳に残るが、国家が意思決定を下す前提としての情報基盤を真剣に問いただす必要がある。日本政府としては戯言ではなく、それなりの情報収集・分析力を駆使してイラクの危険性を判断し、米国の行動を支持したはずである。であるならば、いついかなる段階で、いかなる情報をもとにして判断を下して誤りをおかしたのか、今後の意思決定のために検証しておくべきである。外務省のみならず内閣調査情報室、防衛庁など日本にも相当なレベルの国家としての情報システムもある。また、メディアや民間企業にもグローバルな活動の広がりを通じて情報の収集・分析基盤が形成されているはずである。それが何故に機能せず、「アメリカの情報に依存するしかない」というところに後退するのか、重大な問題である。
日本も国際社会での発言と行動を支える情報基盤の充実に腐心すべきである。フランスが中東戦略で米国と一線を画しうるのも、「アラブ世界研究所」のような情報基盤を作り上げ、情報優位にあるからである。パリのセーヌ河沿いに立つ九階建てのアラブ世界研究所は、1973年の石油危機の翌年に構想が発表され、フランスが六割、アラブ諸国22カ国が4割を負担する形で20年をかけて創設されたが、中東の政治経済のみならず民族・宗教・文化にいたる一大情報集積拠点となり、情報の磁場を構築している。日本の場合、アジア太平洋に関するまともなシンクタンク一つなく、「アメリカを通じてしか世界を見ない」という中に埋没しているわけで、主体的な判断など期待すべくもない。
3.展望―21世紀世界史の流れに逆行しないために
小泉外交の欠落を踏まえ、21世紀日本外交に求められる視座を整理しておきたい。
国際法理と国際協調システムの重要性
9・11からイラク戦争に至る時代の空気の中で、21世紀の世界史も米国が主導する「力こそ正義」の力の論理が支配するゲームになると考える傾向が芽生えた。そして、日本人の心にも「軍事力なき大国は無い」「軍事力なき国際貢献は感謝されない」という思い込みが頭をもたげた。それがイラクに自衛隊を送るという政策を後押ししたともいえる。
しかし、21世紀の世界潮流は力の論理が支配するゲームではなく、国際法理と国際協調システムを重視する全員参加型秩序に向かって苦しみながらも前進している。その象徴がICC(国際刑事裁判所)である。このこともこの連載(世界、05年5月号「日本の姿を映し出すICC問題」)で書いたが、既に、世界97カ国が批准、参画する形で2003年3月にオランダのハーグにICCが設立され、活動を始めた。国境を超えた組織犯罪や人道に対する犯罪、すなわち「テロとか拉致」と戦うというのであるならば、ICCに参画してその実効を高めるのでなければ辻褄が合わない。
しかし、不思議なことに日本はICCに参加しようとしていない。私は小泉外交の最大の欠陥はICC不加入だと思う。それこそが日本の国際主義の浅薄さを示すものとなり、ICCを支える主要国たる欧州やアフリカ諸国からすれば、「国連常任理事国になろうとする国が何故ICCには参加しないのか」との疑問を抱くのも当然である。当初、ICC設立に熱心だった日本が、急速に消極的になった理由は、米ブッシュ政権が不参加を決めたことに影響されていることは否定できない。
環境問題における京都議定書とICCは、国際社会のルール作りにおける車の両輪のようなものであり、そのどちらからも離脱したブッシュ政権下のアメリカの「単独行動主義、」を際立たせる。米国は本来「モンロー主義」のごとき内向のDNAを抱えた国だが、ブッシュ政権が「米国の力で米国の掲げる価値を実現する」という歪んだ形での国際介入を続ける特殊な政権であることを認識し、米国を国際社会の建設的参画者に引き入れねばならない。日本が基軸とすべきは、世界の多様性・多元性を尊重し、粘り強く国際法理と国際協調の仕組み作りを推進する側に立つことである。
アジアとの重層的関係の不可欠
小泉政権の4年間に、日本の経済構造は大きく変わった。貿易構造の変化に注目すべきである。日本は通商国家であり、第一の貿易相手は米国という常識が覆ったのである。今や中国が日本の貿易相手の1位となり、2004年の貿易総額に占める米国との貿易比重は18.6%と二割を割り込み、アジアとの貿易比重は45.7%と5割に迫っている。現在の日本外交が直面している諸課題は、頭と体の分離ともいうべき構造、すなわち体はアジアとの関係で生きる体質に変化しているにもかかわらず、頭では米国との関係が8割以上を占める構造に由来し、なお未調整のまま混迷しているともいえる。
小泉外交も「東アジア共同体」を掲げ、シンガポールをはじめとするアジア諸国とFTA(自由貿易協定)を結ぶ努力を積み上げてきた。しかし、TAC(東南アジア友好条約)への加入経緯に示されるごとく、「中国の外交攻勢に負けぬように」といった思惑やアジアの結束を嫌う米国への配慮といった受動性が目立ち、アジアとの連携を真剣に主導するものではない。EU統合を進める欧州とは事情が異なり、東アジア共同体など「絵空事」のようだが、個別の課題ごとにアジア連携を積み上げる段階的接近には可能性を感じる。例えば、2兆ドルを上回る東アジアの外貨準備高に象徴されるアジアの資金をアジアに還流させ、アジア開銀などが進める共同プロジェクトを実現していくなど、アジア連携の実を挙げるべきである。エネルギー、環境、食糧分野でのアジア連携も意味のある挑戦である。
結局、アジアとの連携を深めるにしても、米国との関係の再設計が求められる。「米国周辺国にすぎない日本」ではアジアの自覚の中でリーダーたりえないからである。米国との同盟関係を重視し、米国のアジアからの孤立を回避するための役割を果しつつアジアとの連携を深めるという「親米入亜」への道が日本の進路と思慮するが、決して容易ではない。当面の試金石は「米軍再編問題」である。間違っても米国の世界戦略の一翼を担い、日米軍事同盟関係を強めてアジアと向き合うなどという進路をとってはならない。それこそ、アジアにおける日本の存在感を卑しめ、軽いものとするからである。
多国間外交にこそ求められる理念性
日米二国間外交だけに傾斜していた時代には「理念」は不要だった。摩擦が生じても同じ交渉相手と向き合い続け、政治的落しどころが見えてくるのが二国間ゲームである。しかし、多国間外交の時代には「理念」が強く求められる。何故ならば、丸テーブルを囲むような多国間外交では、多くの参加主体を納得させる理念性が必要となるからである。
国連常任理事国問題で浮かび上がったのは、「国連分担金の2割近くを負担しているのだから」という論理よりも、「軍事大国たる五大国と一線を画し、非核平和主義に徹する日本が常任理事国になる意義」を強調するほうがはるかに国際社会にアピールするという現実である。日本こそ主張すべき理念性を有する。核兵器の廃絶に向けての徹底した非核政策の探求、武器輸出の禁止や武力をもって紛争解決手段としない平和主義の貫徹など、世界史の中でも一歩先行した憲法理念を持つ国として、外交攻勢にでる潜在力は高い。理念こそ現実的な戦略たる時代がきていることに気付くべきである。

