寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2005年6月号

世紀を超えた日本の孤独

3月にアナン国連事務総長の国連改革に関するレポートが提出され、日本の宿願ともいうべき国連常任理事国入りに具体的展望が開け始めたと思った瞬間、近隣の中国、韓国から「異議あり」との不協和音が発せられた。悲しむべき近隣からの横槍であり、隣人の冷酷なまでの日本への評価に深い失望を覚えるが、結局、近隣諸国との信頼関係を構築しえないまま20世紀を終え、世紀を超えた日本の国際関係の脆弱性を思い知らされているともいえる。

昨今の東アジア諸国の外交ゲームを注視して痛感するのは、韓国、中国、そして日本、それぞれの国の指導性の劣化である。近隣なるが故の様々の恩讐や利害対立を超えて、未来を見据えた地域連携を推進していく見識と行動において、スケール感と品格ある指導力がどこにも存在しない。国内の政治状況がもたらす圧力に押され、近隣に虚勢を張って、「閉ざされたナショナリズム」に呼応して政権の浮揚を図り、協調と共生を粘り強く探求する胆力がない。このことの悲劇に直面しているのだ。

日本が国連常任理事国になるべき理由

日本人が「国際連合」と翻訳したUNITED・NATIONSが、本来は「連合国」、すなわち第二次大戦時の枢軸国に対する戦勝国連合の性格を有し、1945年の4月から6月にサンフランシスコで行われた「国連憲章起草会議」を投影した「五大国主義」(米英に当時のソ連、国民政府中国、フランスを中核とする安全保障維持体制)を今日にひきずっていることは間違いない。したがって、多くの日本人が過剰なまでの期待をしているような「国家を超えた上位機関」ではなく、あくまでも五大国が拒否権を有する利害調整機関にすぎない。

それでも、現在の国際社会で191カ国が参画し、世界の在り方を論ずる場としては比類なき存在であり、この場に関与して、国際社会の実情にあった形への改革を促すことは重要である。1956年の加盟以来、国連への参画を重視して「国連中心主義」を外交基軸として標榜してきた日本が、より積極的に国連活動に踏み込むために国連改革を主張することは大切であり、国連常任理事国入りを求めることも妥当であると思う。

ただし、日本が常任理事国になることを求める理由について、現在の日本が国際社会に与えている印象は決して好ましいものではない。国連分担金の負担が米国に次いで世界第2位であることを理由に、負担にふさわしい発言力を要求している印象を与えており、「カネを出しているからといって指導者としてふさわしいとはいえない」との反発を招いているといえる。これでは「出資比率に応じて支配権をよこせ」という敵対的M&Aの首謀者の主張に近いことになる。

日本が常任理事国になるべき理由はそんなところにあってはならない。五大国主義と一線を画し、国際社会での日本の個性を際立たせるべきである。すなわち、核を保有せず、平和主義に徹し、武力をもって紛争解決の手段としない国として、常任理事国の一角を占めることの意義を主張することである。アジア・アフリカ諸国をはじめとする多くの途上国にとってそのメッセージは大きな意味があるはずだ。

「日本が常任理事国の議席を占めても、それはアジアの一票を増やすことではなくアメリカの一票を増やすだけですよね」とアジアの国の人にからかわれたことがあるが、アジアからの目線に対して、筋道の通った主体的主張を持つ国だと映らない自画像を自覚すべきであろう。9・11からの3年半、「対米協調」を唯一の外交政策とし、アフガン攻撃からイラク戦争まで、解釈改憲に近い形で自衛隊の海外派兵まで実現して米軍の後方支援をしてきた小泉政権としては、ブッシュ政権が国連改革問題で示す態度には深い失望を禁じえないであろう。米国の本音は「国連の現行システムの固定化」にあり、日本の常任理事国入りを支持しないわけではないが、常任理事国の枠が拡大することで新たに常任理事国になると予想される国、例えばドイツ、インド、ブラジルなどを想定すれば、いずれも米国にとって思うに任せぬ国であり、事態を複雑にしないためには現状固定化が国益となるのである。

国際社会の冷酷さを受け止め、冷静に再考するならば、日本がその実現を期待するアナン改革試案のA案、すなわち常任理事国を6カ国拡大するという案にしても、単純に支持できるものではないことに気付く。まず、拡大される常任理事国はいわば拒否権をもたないB級理事国にすぎず、依然として五大国の特殊権益が維持されている。また、常任理事国になる国は政府開発援助(ODA)をGDP比0.7%まで負担すべきとの条件が付記されており、現在GDP比0.2%の日本としては、実額で3倍以上もODAを増やす必要がある。そうした条件においても、常任理事国を目指す意味と覚悟を日本国民は思慮すべきである。自分が常任理事国になりうるか否かを超えた日本としての国連変革への基本姿勢、国際機関への関与の基軸が問われるのである。

東アジアの指導力の空白

韓国と中国が日本の国連常任理事国入り問題で示した姿勢は、日本の置かれた立ち位置を確認する上で、記憶にとどめるべきであろう。韓国はかつて日本の常任理事国入りを支持していた。現在の盧武鉉政権の性格という要素も大きいが、明らかに政権基盤の浮上に「日本問題」を利用しているといえる。アジアの連携を通じた繁栄という韓国の真の国益を視野に入れた指導力があれば、韓国が日本に発信すべきメッセージは「狭いナショナリズムを超えて、日本が国際社会での責任ある役割を果し、地域社会の安定に寄与してくれることを期待したい」として、例え積極的に日本の常任理事国入りは支持できなくとも、反対に回ることはしないというものではないだろうか。

中国のこの問題での姿勢もこの国の指導力への疑念を抱かせるものであった。外資導入と貿易に依存して高成長を続ける中国にとって、国際協調こそ存立の要件であるにもかかわらず、「反日暴動」を容認するかのごとき態度をとることは、中国の政治基盤の未熟さを国際社会に印象付けた。ロンドン・タイムスは4月11日付の社説で、「もし中国の指導者が略奪的暴徒を支持するかの態度をとるならば、かれらは究極の敗北者になるであろう」と牽制している。3年後の北京五輪に向けて、国際社会は中国の政治的潜在リスクの高さに当惑するであろう。

本年3月に北京大学で学生や教官を相手に「21世紀の国際関係」について講演する機会があったが、講演後に小泉首相の靖国神社参拝問題をはじめ「日本の保守化、軍国主義の復活」を懸念する多くの質問を受けた。殺気だった質問の中に、中国人の中に日本への強い被害者意識と深い猜疑心が存在することを実感した。私は、既に戦後生まれの日本人が人口の八割を占めようとしており、例え憲法改正を支持する人達でも大部分の日本人は「軍国主義」の復活など望んではいないこと、過去の歴史を真摯に受け止めることは大切だが、現代を生きる日本人として最も大きな責任は、未来に向けて日本が近隣の脅威とならないことであり、そのための責任を自覚していることを率直に語った。自虐でも尊大でもない相互の意見の違いを認め合うことの重要性は少なくとも参加者の理解を得たと思う。  

途方もない孤独感の中で日本外交がひたすら探究すべきは、売り言葉に買い言葉の次元の低い応酬ではなく、将来を見据えたアジアへの外交基軸をしっかりと確立することであり、「米国周辺国」的な自己認識から脱して真の自律自尊を確立することであろう。