寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2005年5月号

日本の姿を映し出すICC問題

日本人の多くは、自分の国が国際協調主義に立って国際社会との調和と連帯に配慮した路線を歩んでいるという自己意識を共有していると思われる。

しかしながら、国際社会の鏡に映し出された日本の姿は自己意識とかけ離れたものである。典型的なテーマが国際刑事裁判所(ICC)問題である。ICC問題を直視すると日本の姿がみえてくる。

ICC問題の経緯

9.11の同時テロから3年半、世界は少しずつ正気を取り戻しつつある。当初6000人からの人が犠牲になったかもしれないとされたテロの衝撃の中で、ブッシュ大統領は「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫んだ。そして、アフガン攻撃からイラク戦争まで、戦争へと突き進んだ。

しかし、その後の検証によって、9.11は「19人のテロリストによる組織犯罪であり、内15人はサウジアラビアのパスポートを持って入国した」ことまでが明らかになった。つまり、9.11は犯罪だったのである。

世界が得た教訓は、戦争というカードでは「テロとの戦い」は完結しないことであり、戦争を選択した米国も、本年3月初旬でイラクでの兵士の戦死者が1500人を超えた。イラクの人々の死者は10万人以上ともいわれ、それだけの犠牲者の上に作られたものは、憎しみと暴力の連鎖であり、世界へのテロ拡散の恐怖である。気付くべきは、例え液体を紐で縛るような苛立ちを覚えても、国際社会における不条理な暴力を処断するための制度設計が必要だということである。

国境を超えた組織犯罪、人道に対する犯罪に対し、国際刑事訴訟の手続きを準備して恒常的機関によって公正に処断しようという構想は、人類社会の積年の夢でもあった。

1998年、160カ国の代表が参加してイタリアのローマで「ローマ規定」が採択されICCが具体化に動き始めた。2002年の6月末には60カ国が批准し、ついにICCの設立が現実のものとなり、2003年3月にオランダのハーグにICCが設立された。現在、139カ国が調印し、97カ国が批准して参加している。注目すべきは、イラク戦争において米国と共同歩調をとった英国も参加していることであり、韓国も批准して18人の判事のうち1人を送り込んでいる。

米国は、クリントン政権の時代にはICCに積極的であり、ローマ規定にも調印していたが、ブッシュ政権になって不参加へと方針転換した。環境問題における京都議定書と同じように、米国の単独主義の際立つ展開となっているのである。米国側の理由付けとしては、「米国人が第三国で刑事犯として逮捕され、不公正な裁判の犠牲にされることを拒否する」というものであるが、世界中に展開している米軍基地の周辺で生じている刑事犯罪に関して、米国兵が逮捕されてハーグのICCにおいて数珠繋ぎで裁判を待つなどという構図を避けたいという意思が働くことも理解できる。しかし、あまりにも身勝手な論理といわざるをえないのだが、米国は世界中の国に「仮に米国人が刑事犯として逮捕されてもハーグには送らない」という二国間協定を求め、対米関係を配慮した70カ国以上の国がしぶしぶサインしている。

日本とICC―拉致問題、国連常任理事国問題との関連

ICC問題は日本と国際社会の関りの試金石となるであろう。実は、日本はICCに対して極めて熱心であった。すべての予備会議に参加してリーダーシップを発揮していた時期もあり、世界は日本こそ最も早く調印、批准するのではないかとみていた。60カ国以上が批准してICCが本当に実現することになった2002年の7月1日には「外相の歓迎談話」まで発表しているのだが、以来3年近くが経過したが一向に批准する気配はない。有事法制を含む国内法の整備が必要という説明がなされていたが、必ずしもそれが制約要因でないことは明らかである。野党やメディアを含め、日本人全般のこの問題への関心は希薄といわざるをえない。

欧州の事情通と議論していると、「テロとの戦い」を支持し、「拉致問題」に苦悩する日本であるならば、まずICCに参加して国際法理のなかで問題を解決するアプローチを大切にすべきではないのかとの指摘を受ける。そして、日本の本音を読み取るかのように「アメリカが腰を引き始めると、日本の態度は変わりますね」とのからかいを受ける。

日本人として、拉致問題とICCの関係について熟考すべきであろう。拉致問題は明らかに人道に対する国境を超えた組織犯罪である。ICCの管轄権は、「犯罪が行われた国、もしくは被告人の国籍がある国のいずれかがICCに参加していること(12条)」となっており、日本がICCに参画して告訴することは可能である。「ICCは過去の犯罪に遡及しない(11条)」とあることから、拉致問題は対象外との見解もあるが、拉致問題は現在も継続中の犯罪であり、国際社会に不条理を訴えることは根拠のある主張である。

北朝鮮が主張する「遺骨のすり替え」など日本人としては憤激に耐えない言いがかりであるが、欧州の第三者からすれば「どっちもどっちの乱闘」と認識されかねない面があり、日本の主張の正しさを客観化する努力が必要なのである。刑事犯罪に関して、被害者と加害者が直接対決することは避けるべきで、そのために刑事訴訟法が存在する。その意味で、国連の人権委員会に訴えることも重要ではあるが、北朝鮮が本音で避けたいシナリオが、国際刑事裁判において「拉致の犯罪性」が検証・認定されることであろう。

北朝鮮も国際社会からの孤立を恐れており、意外なことに現在154カ国との国交を樹立している。とくに21世紀に入ってからは欧州の主要国と国交を樹立し、大使の交換まで進めている。日本の主張を国際社会で認知させる外交努力が問われるのである。ICCへの参画はそのための不可欠の条件である。「ICCへの参加を可能にする特別立法」を準備すれば早急な批准も可能であり、要は我々自身の識見と覚悟の問題なのである。

ICCの議論を理想主義に立つ議論と考え、「理念はよく分るが現実的な力を持ちにくい」とする人もいる。しかし、ICCは決して空疎な理想主義ではない。ICCに参画することは、むしろ21世紀の日本外交にとって極めて現実主義的戦略になるであろう。

何故ならば、21世紀の世界は「欧州の統合と結束」「アジアの台頭」を受けて多極化・多元化という潮流の中に生きると思われ、その中では筋の通った「理念」こそ外交の基軸に要求されるのである。二国間の同盟外交を支えとしている時は、摩擦が生じてもプレーヤ12人のゲームであり、自ずと落しどころも見えてくる性格のものとなるが、多国間の多次元外交には筋の通った理念性が重要となるのである。

京都議定書の遵守、非核平和主義の徹底などと並んで日本外交に理念性を通すためにもICCは重大な試金石である。しかも、ここにきてICCが日本にとって重大な意味をもち始めた。本年3月のアナン事務総長報告を受けて、国連改革が現実味を帯びてきた現在、日本の安保理常任理事国入りを実現するための支持取り付け活動が重要になってきた。

アジア・アフリカや中南米諸国の支持獲得に向けて、ICCへの日本の姿勢は国際機関への責任ある関与を疑わしめるものであり、日本の語る国際協調主義の限界を映し出す材料とされかねない。付け焼刃の集票活動だけでは、国際機関において尊敬され個性を放つ指導的国としては認知されないであろう。