寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2004年12月号

指導者と意思決定責任

ワシントンDCのホワイトハウス正面の公園を超えたヘイ・アダムズ・ホテルの前に小さな黄色い教会がたたずんでいる。「大統領の教会」といわれるセント・ジョーンズ教会である。1816年に建てられ、歴代大統領はこの教会で祈りを奉げてきた。1945年、広島への原爆投下の決断を前にしたトルーマン大統領も、この教会の椅子に一人座って祈ったとされる。

この秋、久々にこの教会を訪れ、思索を巡らせた。「戦争を早く終わらせ、米国兵士の犠牲を少なくするためには広島・長崎の原爆投下もやむをえなかった」というアメリカの論理がいかに饒舌に語られても、非戦闘員である市民29.6万人(厚生省調査)を無差別に殺戮したことを正当化できるものではない。トルーマンは意思決定者として原爆投下の責任を永遠に背負っていかねばならない。意思決定者の重みとはそういうものなのだ。

9.11の同時テロの犯人とその背後にあるテロ組織に対して、抑えがたい恐怖と憎悪を覚えるのは、「目的のためには手段を選ばぬ卑劣さ」、つまり一般市民約3000人を巻き込んだ無差別殺戮という点にある。同様に米国による一般市民の大量無差別殺戮も、それが戦勝国の国家の名における行為であったとしても、厳しく非難されねばならない。それは感情論でもなく、意味の無い歴史の蒸し返しでもない。理性の力にこだわらずに歴史の進歩などないからである。

マッカーサーは連合軍総司令官であったにもかかわらず、原爆投下の決定をエノラ・ゲイ発進の48時間前に知らされただけであった。つまり軍事的に不可欠な戦略として原爆投下が検討・実行されたものではなく、「スターリンのソ連への牽制」など戦後のヘゲモニーを視界に置いた極めて政治的な判断で選択されたことは間違いない。「トルーマン回顧録」など政策決定当事者による文献などを精読しても、痛感するのは意思決定責任の重みであり、悲しいまでの意思決定理由の希薄さである。つまり、体系的な情報分析と政策検証に基づく判断によって原爆投下が決定されたものではないということである。

東条英機の号泣と責任感

戦争を選択した日本の最高指導者としての東条英機は、真珠湾攻撃の日の未明、対米戦争に踏み切っていく決断の重さに、首相官邸の自室で「嗚咽から号泣していた」という。妻カツと三女幸枝の証言である。(保坂正康「昭和陸軍の興亡」)

東条英機という人物の評価は難しい。国家の最高指導者として時代に対する洞察力、国際的見識、柔軟な構想力を持っていたとは思えないが、決していいかげんな人間ではなく不器用なまでに「時代の子」であったといえる。職業軍人としての彼に国家の命運を担う責任のバトンが渡された時には、戦争に向かう時代の空気を転換できる柔軟な経綸など期待できるはずもなく、バトンリレーのアンカーマンとしての役割しか残されていなかったともいえるのである。しかし、だからといって意思決定責任者としての責任を免れるものではない。

私はワシントンDCの書斎で日米戦争に向かった5年間を追い求めた作品「ふたつのFORTUNE-1936年の日米関係に何を学ぶか」(ダイヤモンド社、1993年)を書き進めた思い出があるが、その時、「東条英機『わが無念』-獄中手記・日米開戦の真実」(佐藤早苗、光文社)と「滄海(うみ)よ眠れ-ミッドウェー海戦の生と死」(澤地久枝、文藝春秋社)を机上に置いて作業をしたものである。それは戦争に意思決定責任者として参画した者と、少年兵として海の藻屑と消えていった者のそれぞれの思いを真摯に受け止める必要を感じたからであった。澤地は「滄海よ眠れ」において、ミッドウェー海戦の戦死者、日本側3057名、米国側362名の名簿を作り、その一人一人の生身の人間の人生とその親類縁者の悲しみを追い求めた。戦争が壊してしまったものの惨さに何度となく涙を禁じえなかった。その悲劇の責任を誰が担うのかと問い詰めれば、やはり意思決定者に求めざるをえないのである。

東条英機こそ軍国主義日本のシンボルとされるが、彼に関する文献・資料を読むと、いかに生真面目な人物であったが分る。その東条が東京裁判での死刑判決を受け、刑死前日に書き残した遺書はこの国に生きる者として真剣に読まれるべきものであろう。そこには東京裁判の不正を堂々と糾す気概とともに、反戦の責任を深く受けとめ、平和の礎石となるために慫慂と刑死に向かう覚悟が綴られている。その中に、私は注目すべき言葉を見出し、少なからず驚いた。東条は「日本が大東亜戦争において誠意を失い東亜民族の真の協力を失った事が敗戦の真因であった」と述べているのである。つまり、アジア諸国の人々の真の協力を失ったことが敗戦の理由だと総括しているのである。米国との物量の差でもなく、軍事的戦略戦術でもなく、アジアから真の理解と協力を得られるような展開が実現できなかったことに敗因を求めている東条の目線は澄んでいる。

小泉首相靖国参拝の浅さと軽さ

小泉政権がスタートした時、ブッシュ政権の日本担当は「本格的反米ナショナリスト政権の登場か」と当惑し緊張したという。「A級戦犯が合祀されていようが、8月15日に靖国神社を参拝する」と言い出したからである。なぜならば、小泉首相の主張を論理的に延長していけば、A級戦犯を処刑した東京裁判を否定し、東京裁判を受け入れたサンフランシスコ講和条約を放棄する可能性が浮上してくるからである。しかし、その後の小泉政権は米国も驚くばかりの親米政権で、イラク戦争に至るあらゆる外交政策の基調が「対米協力」によって成り立つという異様な様相を呈してきた。

靖国参拝問題が問題なのは、靖国が無名戦士の慰霊の場ではなくなってしまったからである。戦後40年近くも経って、1984年にA級戦犯とされた東条英機をはじめとする戦争指導者が合祀されたことにより、靖国参拝は極端に政治化された問題となった。いかなる国にも国難に殉じた兵士を祀る慰霊碑があり、それら戦没者の鎮魂を祈ることは自然なことである。だが、ミッドウェーの少年兵や知覧の特攻隊員の死を悼む気持ちと戦争という悲劇を生んだ責任の理非曲直を問う気持ちは同質のものとはなりえない。

小泉首相は、靖国参拝を続ける理由を問われ、「二度と戦争を起こさないために」と語り、中国や韓国が不快感を表明することに関して、死ねば、A級戦犯であろうが等しく死者の霊に祈るのが日本人の考えであるとし、外国からの批判は不当との姿勢を続けている。しかし、二度と戦争を起こさないことを望む首相自身が、米国の不条理なイラク戦争を支持し、殺戮し占領する軍事力の一翼を担う形での自衛隊のイラク派遣を強行した。その政策はアジア諸国の人々に「軍事力への誘惑に傾斜する日本」という不信を醸成していることに気づかねばならない。首相の意固地な行動が力づけているのは、「過去の日本の行動は間違っていなかった」とする偏狭な人達であり、未来におけるアジアとの共生を探求する人達を失望させているのである。首相の言動は思慮浅く軽い。

自問すべきは、例えば東条英機自身が靖国に祀られることを望んだであろうかという点である。彼は意思決定責任者として、敗れれば地獄の覚悟でことに臨んでいたはずであり、自分の合祀が遺書における言葉として残した「アジアとの真の協力」の障害になることなど拒否したはずである。指導者とは自らの屍に鞭打たれても歴史を前に進める者である。

中国への短期的配慮で外交技術的に「手打ち」を演じることなど重要ではない。アジアとの真の相互信頼を醸成するために、日本外交の総体に筋道の通った理念性を取り戻さねばならない。米国への過剰依存と過剰期待だけでアジアの信頼は得られないのである。

プーチンの強権主義的政治手法に対して批判の声も聞かれるが、ロシアが二一世紀の世界史の正面に再登場してきたことは間違いない。日本としても眼前にあるユーラシア国家ロシアを正視し、新たな関係を創造せざるをえないであろう。