寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2004年7月号

自己責任論を巡って

不条理なことだが、国際社会を動き回っていると、日本人だというだけで不当な状況に身を置くことがある。1980年代の前半、私は中東に関する情報活動に必死に取り組んでいた。勤務先の三井グループが中東イランでの巨大石油化学コンビナート事業に取り組み、79年のイラン革命、80年のイランイラク戦争という二重苦に直面していた。ホメイニ師率いる革命政権との事業継続を巡る交渉に向けて、イランの将来についての情報分析が必要となり、情報活動の末席を担って世界中の中東専門家を訪ね回っていた。

その頃のイスラエルでの体験である。多くのユダヤ人に日本の中東政策の一貫性の欠如を論難され当惑した。1973年の石油危機に際し、日本は「アラブ友好国宣言」をして石油確保のための「油乞い外交」を展開した。当時の事情からすればやむをえない選択であったともいえるが、イスラエルの側からすれば、日本はそれまで好関係にあったイスラエルを切り捨て、アラブ諸国のイスラエル・ボイコットに加担したことになるのである。ユダヤ人はグローバルネットワーク民族であり、米国における約600万人のユダヤ人までが日本の姿勢に不快感を抱いていた。ある国際シンポジウムでユダヤ系の人から「日本人は信義に厚い民族だから、仮にアラブ諸国に石油を依存しなくなってもアラブ友好国といい続けるのでしょうね」と嫌味をいわれたものである。

自分では意識していなくても、自分が帰属する国の政策選択が思いがけぬ敵を作る。悪意がなければ相手から憎しみを受けるはずはないと考えるのが日本人の傾向なのである。

イラク戦争で日本が選択したこと

多くの日本人は、イラク戦争に際して米軍の行動を支持し、「イラク復興支援特別措置法」を成立させてイラクに自衛隊を送ったことに関して、あくまでも人道復興支援に参画しているのであり、イラク国民の役に立つ国際貢献に汗を流していると考えている。政府も再三にわたり「戦争をするために行っているのではない。一国平和主義を脱しイラクの人達に貢献する活動をしているのだ」という説明を繰り返しており、誰もがそう思いたいという気持になっている。

しかし、残念ながら日本が選択した政策は「善意の第三者」としてイラクに自衛隊を派遣するというものではない。あくまでも米軍を主体とする占領軍の一翼を担う形でイラクに展開したわけであり、国連の要請に基づくPKOや多国籍軍でさえない。攻撃し、殺戮し、破壊した側に立って「国際法上の軍隊」である自衛隊をイラクに送ったのである。したがって、米軍のイラクでの行動、米国の民間人への攻撃に逆上した米軍のファルージャでのモスク攻撃や無差別殺戮、さらにはイラク人捕虜収容者での虐待など「戦争の大義」とはおよそかけ離れた悲劇についても無責任ではいられない

つまり、日本政府の大義なき戦争への加担が、自暴自棄ともいえる無差別テロの標的にされかねない状況に日本人全体を追い込んだわけで、そのことを許容してきた日本人にも覚悟が必要だということなのである。国が道を誤るというのはそういうことなのである。

であるが故の厳しさを

イラクのファルージャ周辺で3人の日本人が拘束され人質とされた事件を巡り、メディアでの議論は迷走した。メディア的図式でいえば、「自己責任論」対「人質擁護論」となる。一方で、「自ら危険を冒してイラクに入ったのだから、そんな人の救出のために政府に泣きついたり、自衛隊撤退など政策変更を要求するのはおかしい」とする自己責任論が語られ、保守派とか政治的現実主義に立つ人達が強調していた。他方、「国民の保護救済は政府の責務であり、NGOのような非政府による国際貢献活動の重要性が高まるなかで、人質にされた民間人にも理解が必要」とする議論が存在し、リベラル派、市民活動を支援する人達が主張していた。

日本政府のあまりに無原則な対米協調の政策選択が、日本人への不条理な敵対を誘発していることを指摘しながらも、私自身はメディアでの質問を受けて、犯罪行為の脅迫によって「自衛隊撤退」などという政策変更がなされてはならないこと、国際社会に関わる人間の要件として3人の人質の行動には共感できないことを発言してきた。真摯な市民活動に関わっている人から何件かの手紙をいただき、「他人のことを配慮しない時代風潮のなかで、イラクでの活動に関わろうとする若者の善意と志を評価すべきだ」という主旨の抗議を受けた。メディアの二者択一型の議論を拒否し、熟慮一番、大人の脳力が求められる瞬間なのである。

政府の周辺に漂う責任回避のための自己責任論やネット情報として駆け巡った捏造された「自作自演説」による人質への誹謗などに与する気持など全くないが、少なくとも真剣に国際社会に関わってきた大人としての視点から、人質となった人達を擁護礼賛する気持にはなれないというのが私の本音である。国際社会に関ることには最低限度の要件がある。海外にでる多くの若者を見てきたが、NGO型の活動にせよ真に役立つ活動のためには、語学力を含めての的確なコミュニケーション能力、関る地域への可能な限りの情報収集と体系的な研究、他人に依存しない経済生活基盤の確立、さらには活動の成果を高める組織化への努力などが不可欠である。人質になった人達の話に耳を傾けても、情熱だけが空回りしていてとてもそうした要件を満たそうと努力した人とは思えない。私も教壇に立つ人間の一人だが、自分の学生にこの程度の人間がいたならば、真摯にNGO活動に立ち向かっている人達のためにも「愚か者」と一喝するであろう。国際社会に関る志を大切だと思うが故に厳しくならざるをえないのである。

ただし、ジャーナリストについては話は別である。ヘミングウェイをはじめ多くのジャーナリストが戦場に立ち、現場からの報道に文字通り命をかけてきた。それこそがジャーナリストの誇りでもあった。ジャーナリストは権力に対して常に「御し難い懲りない人」でなければならない。

さらに残念だったのは、自己責任を巡る議論の中で本当に議論されるべき政策論が曖昧化したことである。米国のパウエル国務長官が、人質となった3人について積極的擁護の発言をしたことも話題になった。これはTBSのインタビュー(四月一五日)に答えたもので、正確な文脈は「日本国民がより偉大な価値やよりよき目的のためにリスクを引き受けていることを喜んでいる。そして日本人はこのように主体的に行動しようとしている人達を誇りに思うべきである。さらに危険を冒してイラクに派遣された兵士達を誇りに思うべきである」というものである。「お墨付き」に弱い日本人からすれば、米高官も人質達の活動を評価していることになり、メディアもそういう文脈で報じていた。しかし、注意すべきは、人質になった人やその人達を擁護する人達にとってはやりきれないことだが、民間人のイラク復興支援活動も自衛隊の活動も同じ国際貢献という次元で議論されているということである。

川口外務大臣の人質解放を武装勢力グループに呼びかけたメッセージにおいても同様の文脈があった。「自衛隊も民間NGO活動もイラク国民のために貢献しようとしているのだ」という論理である。一国平和主義で日本の利害だけにしがみつくよりも、なんらかの国際貢献は大切という括りで話をすることは、イラク問題への日本の政策選択の議論を混乱させるものである。米政府高官がアメリカの論理において「米国のイラク統治」という枠組の中でイラク復興支援に参画する者を高く評価するのは当然である。自己責任論議への傾斜の中で、「占領統治とは一線を画した日本のイラク問題との関り方」という本質的論点が曖昧化したことを懸念する。

誤魔化し無く思考回路を巡らせ、筋道を貫かねばならない。米ブッシュ政権の単独覇権主義に協力することと真の国際貢献は異なることを見据え、日本が21世紀の世界史にかなった役割を果たしうる方向へと舵をとらねばならない。