寺島実郎の発言

HOME > 寺島実郎の発言 > 連載「脳力のレッスン」 > 不思議の国のアリスからの旅立ち

連載「脳力のレッスン」世界 2004年2月号

不思議の国のアリスからの旅立ち

長い歴史軸の中で冷静に思考すれば奇妙な固定観念にはまっているに過ぎないのだが、あたかも不思議の国に迷い込んだアリスのごとく、倒錯した価値が常識となった世界で正気を保つことは容易ではない。「アメリカの期待に応え、イラクに自衛隊を送ることが国際責任であり日本の国益」と語る人達の表情を凝視するならば、この国の病みの深さに溜息のでる思いである。こういう時代では、自分が置かれている世界そのものを疑う視角が求められている。

二人の外交官の死の受け止め方

あまりにも痛ましい二人の外交官の死を受けて、日本の政治指導者・外交責任者の口からは、「遺志を引き継いで」とか「テロとの闘いにひるまず」という言葉が語られる。屍を乗り越えてという心理にはまり込むと、無残な死をもたらした構図そのものを省察するという冷静な視点は失われていく。

本当にテロと闘うとは如何なることなのか。本当にイラクの人々の目線に立ってイラク復興支援に汗をかくこととは如何なることなのか。目の前にあるテロリストの恐怖に殺気立ち、不条理な戦争に駆り立てられていくアメリカを不用意に支持し、憎まれなくてもよいはずの人達から憎しみを受けた結果が二人の外交官の死ではないのか。テロリストというウィルスを排除することも重要だが、個々のウィルスを撃破する戦いを進めても、ウィルスが発生・伝播されるメカニズムを変えないかぎり、問題は解決しないのである。

伊藤博文の暗殺も紛れもなく「テロ」であった。しかしその犯人は朝鮮半島では英雄視される。歴史的評価は立場によって大きく異なる。目の前の殺戮という体験をすると、人間の感情は昂ぶり、全体の構造を思考する回路が働かなくなりがちだが、「植民地主義」を深く思考する視点がないかぎり、事象としての殺戮を巡る感情論にはまり込むのである。

局地的正義からすれば許しがたい邪悪な行為であっても、それを糾弾するだけでは大局的正義は実現できない。大局的正義にそぐわないイラク戦争を支持し、対米協調だけを外交基軸とする本音を国際協調と言い換えてきた帰結が真摯に現場を支えた外交官の犠牲をもたらした。米軍の占領統治の一翼を担う形でイラク復興に関われば、中東におけるすべての反米勢力を敵とすることは自明で、その攻撃が日本人に向かうことになる。その結果責任を深く感じるべき人が、「テロは邪悪な行為」といっているだけという現実に日本の問題が凝縮されている。国家が道を誤る時、皺寄せを受けるのは、常に最前線に立たされる人達である。

サダム・フセインの拘束という事態は、イラク国民の和解とイラク問題の国際化(米軍主導ではなく国連による制御)への転機とされねばならない。

イラク戦争から半年が経過したワシントン

イラク戦争から7ヶ月が経過したワシントンを訪れた。開戦直前の殺気立った雰囲気は消え去り、事態の推移に困惑するアメリカの姿が見え始めていた。11月末時点で、イラクで死んだ兵員は440人を超えた。戦費も嵩み、開戦の半年以上も前からイラク周辺にはりつけた兵力のコストを含め、11月に議会が承認した870億ドルの追加予算を入れて2004年までに2000億ドルを超すと予想され、年間5000億ドルを超す財政赤字が見込まれる。湾岸戦争の戦費が800億ドル程度だったのに比べても巨大な負担がのしかかっているのである。

「テロとの闘い」「大量破壊兵器の廃棄」「イラクの民主化の必要」などを理由にイラク攻撃の正当性を声高に語っていたホワイトハウスの関係者さえ、イラク情勢の混迷と代価の高さに困惑し、「あそこまで軍を展開していた以上、引き返せない戦争だった」と弁解にも近い話を小声で語っていた。そして、「そんなことより、今となってはイラクの復興が大切だ」という。幾度となく、「ネーション・ビルディング(NATION・BUILDING)」という言葉を聞かされ、「戦後日本を復興させたごとく、イラク国民のために復興支援をすることこそ国際社会の前向きの課題だ」というのである。

思わず「そのとおりだ」と言いかけざるをえないような空気に包まれる。しかし、自分が間違った思い込みで破壊しておいて、平然と「NATION・BUILDING」ということのできる米国の「悪意なき傲慢さ」こそが問題なのである。そして、いつの間にか「イラク復興支援に日本も50億ドル負担」という構図の中にはまり込んでいることに問題意識を取り戻さないかぎり、間違った物語の中で立ち尽くす御人好しの役割から脱することはできないだろう。

我々が見抜かねばならないことは、戦争を与件とし、戦争によって飯を食べ、戦争と復興にビジネスモデルを見出す膨大な人々が時代の空気をつくり出しているという事実である。かつて、アイゼンハワーは大統領退任のメッセージとして「産軍複合体の不当な影響力」に警告を発していた。「産軍複合体」というと、宇宙航空産業のような武器・兵器製造業を意味しがちであるが、冷戦後の経緯の中から全く新しい型の「軍事関連産業」が生まれ、影響力を拡大しつつある。

「軍事のビジネスモデル化」、すなわちアウトソーシングを通じた軍事関連分野のビジネス化が進行している。PMCs(Private Military Companies)と呼ばれる軍事サービスを委託された企業群が急速に台頭しているのである。冷戦期に使われた「産軍複合体」が軍事装備品の供給産業を中核とするものであったのとは異なり、冷戦後の粛軍を背景として軍事の多様な現場を民間企業に委託する傾向が加速されているのである。

冷戦後のクリントン政権下の米国は、軍事予算を3分の1削減した。正規の軍人は、1991年の200万人から140万人へと同じく3分の1削減された。産軍複合体も合従連衡の嵐となり、マックダナル・ダグラスはボーイングに吸収され、ロッキードとマーチン・マリエッタは合併、グラマンもTRWもノースロップに吸収されるなどの激震が続いた。軍事産業の地盤沈下が話題となり、軍事目的で開発した技術の民生分野での活用のための「軍民転換」が語られていた。

ところが、皮肉にも冷戦の終焉は新しい型の軍事産業を生み出した。「ビジネス・ウィーク」誌(2003年9月15日号)は「戦争のアウトソーシング」という特集において、イラク戦争における米軍の活動を現場で支援する民間企業の存在を報告している。イラク戦争では、郵便配送、物資輸送、給食などの軍用サービスの2〜3割を民間企業(PMCs)が請け負っているといわれ、その代表格がKBR社である。KBR社は、チェーニー副大統領が2000年までの5年間CEO(最高責任者)を務めていたハリバートン社の子会社である。PMCsも多様な業務を請け負っており、実績のある元軍人を雇い戦術やシステムを支援する軍事コンサルタント企業、軍事技術の研究開発企業、兵員の訓練や研修を下請けする企業など様々な企業が活動している。現実にイラクではKBR社の社員などが攻撃を受け死傷しているのである。

英国紙「ガーディアン」は「戦争の民営化(The Privatisation of War)」と題する記事(2003年12月10日付)において、「現在イラクには1万人を超す民間人がペンタゴンとの契約の下に展開しており、その数は英国軍の布陣よりも多い」「戦費の実に3分の1がこうした外注に費やされている」と報じている。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は胸ときめく少女向け童話と思われがちなだが、異常なまでの少女愛好癖のあったキャロルが少女アリスの歓心をかうために書き上げたというのが事実である。背後に絶句するような欲望が潜在するという構図は、何やら我々を取り巻く時代状況と似ている。目を凝らして本質を見抜き、拒否すべきものと距離をとらないかぎり、何時の間にか「テロとの闘い」という念仏を唱えながら、たっぷりと金を払った上に銃を手に脅えている国になってしまうかもしれない。