寺島実郎の発言

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連載「脳力のレッスン」世界 2004年1月号

ウクライナという国から見えてくるもの

日本近代史の宿命のテーマは「ロシアの脅威」であった。幕末維新から日露戦争の時代、さらに戦後の冷戦の時代に至るまで、日本は北の巨人ロシアの脅威と向き合ってきたといっても過言ではない。しかし、十数年前に「冷戦の終焉」によってソ連邦の崩壊という事態を迎え、日本人の視界から「ロシアの脅威」が消え去り、多くの日本人は「ロシアなど取るに足りない存在」とタカを括るようになった。

ところが、ロシアの潜在力はそんな容易なものではない。しかも、このところプーチン政権下のロシアは、石油価格の堅調による実質5%成長の持続によって自信回復の過程にあり、再び「大ロシア主義への回帰」とでもいうべき動きを見せ始めている。ソ連から独立していったCIS諸国への束ねを強め、「CIS四カ国統一経済圏構想」などにおいてロシアの影響力を拡大しつつある。ロシアの安定的発展は望ましいことだが、その存在が日本にとって安全なものであることが日本の生存条件なのである。

何故ウクライナなのか

奇妙な行き掛りで経団連のウクライナ研究会の委員長を引き受けることになり、ウクライナを訪れた。必ずしもこの国の事情に明るいわけではなかったが、自分の眼で見て、改めてこの国の将来が「ユーラシア大陸の地政学」にとっても重要な意味があることに気付いた。

ソ連邦は国連で3票の投票権を持っていたが、その一つがウクライナであった。歴史的にウクライナは、ポーランドに併合されていた時代、ロシアに併合されていた時代を経ており、ロシアとも微妙な位置関係にあり、独立志向が強いといえる。昨年5月の大統領教書において、2011年をEU加盟時期目標と表明するなど、欧州への帰属意識が強いのだが、エネルギー供給の8割をロシアに依存するなど現実の経済基盤においてロシアとの関係が強く、この辺りにウクライナの苦悩がある。

ロシアにとってもウクライナは重要であり、とくに黒海に面した港オデッサは、ロシアの南の出入口ともいえる存在である。西の出入口だったバルト3国がEUとの関係を強める中で、南のウクライナは重要なのである。黒海はイスタンブールのあるボスポラス海峡を経て地中海に繋がり、ロシアの心臓部と世界を結ぶ回路なのである。ソ連時代の黒海艦隊は二分され、一つはロシアの黒海艦隊、一つはウクライナ海軍になっている。

経済産業的にウクライナを注目する理由が3つある。一つは製造業の産業基盤である。豊かな国土に恵まれた穀倉地帯の農業国というイメージが描かれがちなウクライナであるが、実は帝政ロシアの時代から鉄鋼業や造船業の基点として発展してきており、ソ連邦時代も一大工業地帯であった。今日も、集積された製造業の産業基盤は注目すべきである。二つは技術開発力である。例えば、キエフ工科大学の技術力、研究開発の蓄積は国際的にみても高い水準にあり、とくに基礎技術の研究は極めて優れているとの印象を得た。宇宙開発から原子力まで、ソ連邦時代のロシアを科学技術面で支えた柱の一つがウクライナであったという事情を注目すべきである。三つは、ロシア、中央アジアから欧州に向かう石油ガス・パイプラインの戦略的中継地だということである。世界のエネルギー戦略上の要衝の地域となるであろう。

日本との関係

日本人は「唯一の被爆国日本」という言い方をするが、ウクライナの視点からは、「世界には、被爆国が二つある。一つがヒロシマ、ナガサキの日本、二つがチェルノブイリのウクライナ」ということになる。原発事故として1986年のチェルノブイリは史上空前の悲惨な事故であった。このことがきっかけとなって、ゴルバチョフの情報公開や改革開放が始まり、ソ連邦崩壊の流れが加速したといえよう。

ウクライナは依然として、チェルノブイリ後遺症を引きずっており、原子力の安全に関する技術、新エネルギー・省エネルギー関連技術など、エネルギー関連技術に強い関心を抱いており、日本との協力の優先分野として期待しているといえる。

原子力および核に関連して、ウクライナは北朝鮮問題を考える上で微妙な先行モデルを提示している。ソ連邦崩壊後、ウクライナは当初、核兵器の継続的保有意思を有していた。それを米国、ロシア、欧州が説得して「核廃絶プログラム」を実現、経済技術協力の下に核廃絶を了解させたのである。これが、北朝鮮の核廃絶に向けての先行モデルになりうることが注目されているのである。

ウクライナの戦略的重要性を認識し、最も積極的な支援をしている国は米国であり、過去10年間の経済援助額は年平均二億ドルにのぼり、この間に2.5万人のウクライナ人が米国での研修を受けた。この背景には、米国には100万人を超すウクライナ系移民(大半はユダヤ人)が存在するという要素も関係している。また、「冷戦後、旧ソ連から100万人以上のユダヤ人がイスラエルに移住した」といわれる動きも、実はウクライナからのイスラエル移住がその過半を占めるとされている。つまり、ウクライナ系ユダヤ人の存在が米国の動きに影響を与えているのである。

米国政府による支援のみならず、米国企業もウクライナに積極的に動いており、海外からの国別直接投資の第一位は米国からの投資である。これらのことを深く考えてみると、ウクライナの自立と安定を支援するために、日本と米国がより戦略的な連携を深めることの重要性に思いが至る。現下の日本の国際関係に関する議論は、イラクと北朝鮮一色に塗りつぶされているが、冷静に思索すれば、ユーラシア大陸全体に目配せした構想が求められているのである。ウクライナを旧ソ連邦の国としてモスクワ経由で考えるのではなく、欧州の東端の国として考える思考が求められるのである。

戦前のウクライナには、1936年まで日本の領事館が置かれ、後に首相にまでなる若き日の芦田均が働いていたという。日露戦争時に、欧州を舞台に「反ツアー運動」を支援し、ロシア革命を誘発してロシアの脅威を牽制するための諜報・謀略活動をした明石元二郎陸軍大佐なども思い出されるが、少なくとも明治期の先人達の眼には、ユーラシア大陸が視界に入っていた。ここは、我々も深呼吸してもう少し視界を広げ、ユーラシア大陸との関わりを構想してみる時ではないか。

面白いことに、名横綱大鵬の父親はウクライナ人だったのだという。そのためかウクライナでは相撲の人気が高い。現在、十両に「黒海」という相撲取りがいるが、彼はウクライナ人ではなく、コーカサス出身のロシア人だそうだが、ロシア系の力士が既に四人も入門しているという。朝昇龍をはじめとするモンゴル力士の活躍を含め、何やら相撲はユーラシア大陸スポーツのなりつつある。

そこで半分冗談だが、ユーラシア大陸の真上に衛星を打ち上げ、大相撲の同時中継を可能にするなどの試みをすることも面白いのではないか。やがてそれがユーラシアと日本を結ぶ情報通信インフラとして機能する契機となれば夢のある話である。中国は、最近になって欧州のGPS衛星打ち上げ構想(ガリレオ・プロジェクト)に参画することを発表した。つまり、カーナビなどに利用しているGPS衛星は、地球を24個の米国の軍事衛星が取り巻き、それを利用させてもらって機能しているのだが、この面での米国依存を避けるため、独自の構想を探究しているということである。

昨今の日本は極端に内向きになっている。イラクに自衛隊を送ったり、50億ドルの復興虚力をすることや、北朝鮮に激怒することが「外交」だと思っている。しなやかに、かつ遥かにユーラシアを見渡した視界の中で、日米が協力する分野を議論する真の戦略的対話が求められるのではないだろうか。