連載「脳力のレッスン」世界 2003年11月号
2003年夏と脅威としてのアメリカ
2003年夏も過ぎ、秋風の中で「時代の空気」の変化を再考してみる。例えば、朝鮮半島問題を巡り、この4年間の夏を静かに筋道立てて振り返るならば、時代の性格が見えてくる。2000年6月、南北朝鮮会談が行なわれ、ようやくアジアにも冷戦後のパラダイムが開かれ始めたかという期待と高揚感がメディアにも溢れていた。沖縄サミットが開かれ、今にして思えばのどかな夏であった。
2001年夏、時代の空気は次第に変わり始めていた。この年の2月、ブッシュ政権がスタートし、米国のアジア政策に微妙な変化が起こっていた。3月の金大中韓国大統領の訪米と同時期に私もワシントンを訪問していたが、ホワイトハウスの外交チームの人達の驚くほど冷たい金大中への評価に驚かされた記憶がある。米国の大統領選挙で、対立候補だった民主党のゴアを支援した金大中への意趣返しという印象もぬぐえなかったが、米国の頭越しに南北朝鮮会談を実現し、ノーベル平和賞まで貰った金大中への猜疑心が強く感じられた。「朝鮮半島を仕切っているのはアメリカだ」という現実を思い知らせる必要があるといわんばかりの意識があふれていた。米韓関係にさざなみが立ち始めた。わずか1年前の南北朝鮮会談の熱気は消え去り、金正日がシベリア鉄道でモスクワに行くなどというシーンがテレビに映し出されていた。
そして9・11が起こった。日本は「湾岸戦争の後遺症」ともいうべき心理で、「一刻も早く米国支援を実行せねば評価されない」という思い込みによって、何が何でもインド洋に自衛隊を送ることへと前のめりになった。他方、韓国の対応は冷静そのもので、「テロとの戦い」に連帯するという意思表示とは裏腹に米国のアフガン攻撃には一切協力しなかった。日本の興奮と韓国の冷静が対照的で、国際社会の話題になっていた。
2002年夏、「アフガン攻撃」でタリバン政権を崩壊させたブッシュ政権は、「アフガンモデル」を成功体験として、「イラクのフセイン政権の崩壊」を次なる射程とする意思を固めはじめていた。そして、9月17日、小泉首相の北朝鮮訪問という展開が起こった。「小泉訪朝」が発表された直後、TVでの討論番組でコメントを求められ、私は「日本が主体的に行動して東アジアに安定をもたらす努力は望ましいこと」としながらも、成功のキーワードは「米国の本音」だと発言した。南北朝鮮会談後の推移からは、米国が日朝国交正常化を本当に望んでいるとは思えなかったのである。
現実は、私の懸念を裏書した。ブッシュ政権は、小泉訪朝を表面的には「歓迎」したが、J・ケリー国務次官補をソウルに派遣、「核開発疑惑」というカードを提示した。こうして日本の主体的行動は、国内的には「拉致問題」、国際的には「核疑惑」という2つの問題に挟まれて、雲散霧消した。
孤立に脅える北朝鮮
グローバル化時代において最も避けるべきシナリオは「孤立」である。それは北朝鮮のような専制体制にとっても同じである。ソ連邦崩壊から中国の改革開放路線への転換をみつめ、国際社会から取り残される恐怖心は高まり続けた。必死に孤立回避を模索し始めた北朝鮮は、2000年1月にイタリア、5月オーストリア、12月英国、ドイツ、スペインとの国交を樹立した。六月の南北朝鮮会談もその文脈で位置付けられるものであった。究極の展開が、「拉致」を認めての日本との国交正常化の試みであった。だが、その思惑を蹴散らす要素が浮上してきた。米国の北朝鮮政策の転換である。
クリントン政権が、「太陽政策」を支持していたのに対し、ブッシュ政権は「太陽政策」不支持をあからさまにし始め、2002年の年頭教書では「悪の枢軸」の1国として北朝鮮を名指しして、妥協無き対決姿勢を明らかにしていった。焦燥感に駆られた北朝鮮は、「弱者の恫喝」ともいうべき開き直りを見せ、「憎々しげに振舞うならず者」の役回りを見事に演じる方向に走り始めた。「自ら墓穴を掘る愚かな虚勢」にすぎないのだが、「核カード」をちらつかせながら、国際的孤立に迷い込みはじめている。
「北朝鮮の脅威」なるものを冷静に再考してみよう。確実なのは「冷戦期の脅威」とは性格を変えたということである。冷戦期は、「北」の背後にソ連や中国が存在し、もし北朝鮮が南進すれば、韓国や日本にとって「体制転換の脅威」であった。しかし、現在の脅威は、「ならず者国家」としての脅威で、体制転換の危険をもたらすものではない。
「ミサイル」や「核」の脅威を軽視はできないが、日本としてはこれらの脅威を削ぎ落とす外交力が重要となる。つまり、北が暴発しないように、韓国・中国・ロシア、そして米国との連携によって、ミサイルや核を「使えない兵器」にしていくことが求められる。何よりも、朝鮮半島の将来は朝鮮半島に住んでいる人達が決めていくべきであるとの原則を大切にし、韓国の政策との協調を心掛けるべきである。
分断統治の罠
この夏も、私は米国、欧州、中国と動き回ってきた。痛感したのは「縮む日本」、米国への過剰依存の中で主体的に行動しない日本への失望が広がっていることだ。日本人の中には、イラク戦争での米国支持で「日本も勝ち組に入った」と認識している人もいるようだが、とんでもない誤解である。中国との対比で考えれば理解できる。中国は米国との関係を決定的に損ねることのない範囲で、米国の行動を批判し、イラク攻撃に反対した。また、北朝鮮問題が浮上すると、米朝中の三者会談を実現し、さらにロシア、韓国、日本を加えた六カ国協議(8月)を北京で主催して国際社会における存在感を高めた。とくにアジア諸国から中国は米国にも筋を通すアジアのリーダーとしての評価を得たことは間違い無い。日本については、「日本が国連の安保理常任理事国になったとしても、米国の支持票を1票増やすにすぎない」という印象を与えたといえよう。日本の姿勢には、21世紀の北東アジアの安全保障を希求するアジアのリーダーにふさわしいスケール感はない。結局、極東に相互信頼のシステムを作り出すことが、「拉致」という悲劇を繰り返さない方法なのである。
米国のアジアへの戦略を理解する最大のキーワードは「分断統治(Divide&Rule)」である。つまり、内部対立を利用して統治する手法で、大英帝国のインド統治以来、欧米の植民地主義がアジアを支配する常套手段であった。米国の戦後のアジア政策は、欧州ではNATOやEUなどの多国間のスキームを支持して関与してきたのと対照的に、多国間のスキームを支持せず、二国間関係に断ち切っておくという戦略を内在させている。つまり、米国は、米中、米韓、米日、米朝という二国間関係は重視するが、アジアに多国間の協調・連携の仕組ができることには慎重かつ警戒的なのである。
マハティールのEAEC構想や1997年のアジア金融危機に際して日本が提案したAMF(アジア版IMF構想)への米国の反発と警戒をみれば分る。アジアに自らが主導できない仕組や事態が生じることを拒否するのが米国の本音である。小犬の群れが相互に吠えあい、疲れて仲良くしようという気運が生じれば、真中に肉片を投げ込むようなパラダイムの中に我々が置かれていることに気付かねばならない。不幸な歴史を背景にして、北東アジアには互いに罵倒したくなるような対立要素を抱えている。「結局はアメリカがいなければ事態は制御できない」という状況からいかに脱却するのか。主体的に安全と安定を確立する意思が問われている。
日本の国際関係の根源的不安定は、アジアに協調と安定の基盤を持たないことである。同じ敗戦国のドイツが、EUという共通の地域連携の仕組を構想、推進することで自らの基盤を安定化させているのと対照的である。アメリカという存在が、アジアの安定の重石であるという見方も成立する一方で、そのアジア政策そのものが潜在脅威であるという微妙な状況に我々が生きていることに気付かねばならない。

