連載「INSIGHT」THE WORLD COMPASS 2009年3月号
新・自由主義の終焉—オバマのアメリカの行方
「米国は社会主義国家なのか」という表題の経済雑誌が、米国の書店やKIOSKに並ぶ時代が来てしまった。米政府のシティグループへの資本注入(450億ドル、36%議決権保有)、保険大手AIGへの資本注入(800億ドル)という事態にまで金融不安は進行し、金融セクターは国家管理状態に移行したとさえいえる。金融だけでなく、米国の虎の子産業ともいえる自動車産業のBIG3さえ、政府の直接的金融支援なしには存立できないところにまで追い込まれている。
OECDの推計によると、2010年度の米GDPに対する一般政府支出(社会保障給付も含む)の比重は39.9%に至ると予想され、欧州の47.1%へと近づいてきた。ちなみに、日本の同比率は37.5%であるが、財政出動による景気浮揚が常態化するなかで、世界では「大きな政府」への流れが加速しているといえる。
いつの間にか、「小さな政府」を志向する議論は後退し、自由な市場の機能に期待する論調も影を潜めた。「競争主義・市場主義の徹底」「規制緩和」「改革開放」といった議論は、行き過ぎたマネーゲームがもたらした諸問題の顕在化によって色あせてしまった。結局、最後の調整弁としての「政府の役割」に回帰してしまった感が深い。
「大量生産・大量消費」を当然の与件とし、「消費は美徳」であることを疑うことさえなかった米国。才能によって分配の格差が生まれることを信じ、したがって虚構のマネーゲームであれ「巨万の富を得ることは神が与えた祝福」と思い込んできたウォールストリートの住人。こうしたアメリカなる市場への過信ともいうべきメカニズムを根底から変える「CHANGE」に踏み込まざるを得ないところにアメリカは行き着いたということであろう。
我々は、簡単に市場経済の持つ積極的側面も見失ってはならない。ただ、「経済」とは経世済民に由来し、本来は「富の分配の公正」や「貧困や不条理の克服」を目指すものであったことを再考するならば、米国を先行モデルとしてもてはやしがちだった傾向を省察し、あらためて経済社会の在り方を構想すべき局面であろう。「市場原理と政府による経済の制御のバランス」は21世 紀の経済社会に突きつけられた課題でもある。

