寺島実郎の発言

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連載「INSIGHT」THE WORLD COMPASS 2003年7–8月号

ワシントン時代の山本五十六

「山本五十六は自分の眼で真珠湾を見たことがあるのだろうか」——私が山本五十六という人物に関心を持って以来、抱きつづけてきたテーマであった。人間の企画構想力が何に由来するのかを考えるとき、対米戦争の劈頭(へきとう)に真珠湾攻撃という大勝負を企画構想して実行した当事者たる連合艦隊司令長官、山本五十六の構想力の原点に強く興味を覚えるのである。

結論からいって、間違いなく山本は肉眼で真珠湾を見たことがある。一度は25歳で(1909年)、巡洋艦「阿蘇」に乗り組み練習航海として、ホノルル、サンフランシスコなどを訪れた時、また、1934年に、ロンドン軍縮会議予備交渉に海軍首席代表として参加した時もハワイに立ち寄っている。
 山本五十六ほど自らの足と眼を使って、現実を見て歩くことにこだわりつづけた軍人も少なかった。のべ5年弱、米国で生活した経験を持っている山本だが、この間、寸暇を惜しんで米国を見て回り、米国を調べ抜いている。
 山本の米国生活について強く印象付けられるのは、その体験を貫き通す、鋭い問題意識であり、それに基づいて見聞を広めていることである。山本は、1919年、35歳でハーバード大学に留学したころから、これからの日本海軍の命運を握る鍵は、「石油」と「航空機」であるという問題意識を抱き、この二つのキーワードを胸に、驚くべき行動力で油田・製油所を訪ね歩いたり、航空機についてのフィールドワークや文献研究をしている。

1991年に出版された『真珠湾』という小冊子には、米国勤務時代の山本を知る米海軍の艦長エリス・ザッカリアスの、「山本参事官は、航空母艦、つまり海軍力と航空力のコンビネーションにとりつかれたようだった。私は、パールハーバーを航空機で攻撃するというプランは、ワシントンで休みなく働いていた彼の頭脳から創りだされたことを確信しています」という証言が紹介されている。
 人間の構想力・企画力などというものは、つまるところ経験と努力の延長線上に初めて開花するものらしい。山本五十六の「真珠湾攻撃」というプランも、単なるひらめきや思いつきではなく、彼の5年間の在米生活におけるフィールドワークと、文献研究の結果であることに気づくのである。