レポート
ブッシュ政権の黄昏
渡部恒雄 経済・産業分析室 主任研究員
2006年6月 「論座」2006年6月号より転載
ブッシュ政権はいよいよ末期的状況を呈してきた。2月末から4月前半にかけて各種の世論調査で、30%台の支持率に対し軒並み50%台後半から60%を超える不支持率を記録している。再選を果たした最近の米国大統領で、同時期にブッシュ大統領より支持が低いのは、ウォーターゲート事件のため任期半ばで辞職を余儀なくされたニクソン大統領ぐらいである。
深刻なのは、鉄の結束を誇ったホワイトハウス内にも綻びがみられるようになったことだ。政権発足当時からの忠臣、アンドリュー・カード首席補佐官に代えて、ジョシュア・ボルテン行政管理予算局長官を起用してイメージチェンジを図ったが、「沈むタイタニックでいすを並べ替えている」と酷評される始末だ。
しかも、先にCIA(米中央情報局)の機密漏洩に絡んで辞任したルイス・リビー前副大統領首席補佐官が、特別検査官に「ブッシュ大統領がチェイニー副大統領を通じてイラクに関する機密漏洩を許可した」という爆弾証言をした。支持率は挽回できるかもしれないが、身内の綻びは一朝一夕には修復不可能だろう。
ブッシュ政権は根本的に大きな矛盾を抱えた政権である。2000年の大統領選挙で、そもそもライバルのゴア候補より得票数が少なかったにもかかわらず、米国の選挙制度、フロリダでの得票をめぐる裁判に助けられて政権を勝ち取った。当然のことながら、民主党やリベラル支持層からの反発もあり、立ち上げ当初は決して人気のある政権ではなかった。
だが、01年の9.11テロに直面することで、軍事力の行使や、個々の人権よりも国家安全保障を重視しがちな保守的な体質、身内重視の結束の固さがむしろ強みとなり、支持を増やした。とりわけ、テロ直後からイラク戦争開始時までは、伝統的に戦時に結束する米国世論を背景に、高い支持率を維持してきた。イラクでの統治の難航と米軍の死傷者の増加は、徐々に政権の人気を蝕んだが、それでも04年の選挙で再選を果たし、05年中旬までは40%以上の支持を維持してきた。
ブッシュ政権の強さは、度重なる危機が語られながらも、政権批判を別の問題点にうまくすり替える「スピン」と呼ばれる世論操作でしのいできたところだ。
「スピン」とは何か。03年、イラク開戦前に大統領は一般教書演説で「サダム・フセインはニジェールからウランを買い求めようとした」として、イラク開戦の必要性を訴えた。02年に政府から依頼されて実際にこの問題の調査を行ったウィルソン前駐ガボン大使は、そのような事実はなかったとCIAに報告した。彼は03年の夏からこの事実を公表し、ブッシュ政権を批判しだした。その直後、メディアにウィルソン氏の妻がCIAの秘密工作員だというリークがなされた。これはウィルソン氏への報復であると同時に、国民にCIAの陰謀を想起させ、ウィルソン氏の言葉の信憑性を下げる高等戦術だ。
だが、CIAの工作員の身分を暴くことは犯罪である。容疑者の一人であるリビー前副大統領首席補佐官が大陪審とFBI(米連邦捜査局)への偽証罪で起訴され、辞任した。もう一人の容疑者、カール・ローブ次席大統領補佐官への捜査は現在も進行中だ。このような事情もあり、これまでの強みであるスピンや、保守層の動員などのお家芸に冴えがなくなってきた。テロからイラク戦争までの緊迫感のある戦時体制という国家求心力により、個別問題での矛盾を覆い隠しながら突き進んできたのだが、スピードが落ちた現在、ぼろぼろと問題が露呈して、いよいよレームダックという黄昏を迎えようとしている。
「民主化」外交の矛盾
ブッシュ政権の外交安保政策は、ネオコンの掲げる政策の持つ根本的な矛盾が、厳しい現実の前に挫折していく軌跡である。厳しい現実とは、現在の世界の構造では、世界の民主化や自由の達成という目標が直接に米国の安全に寄与するわけではない、という点だ。 04年に再選を果たしたブッシュ大統領の05年の就任演説は、まだネオコン的表現に彩られたものだった。20分弱のスピーチの中でブッシュ大統領は、米国の外交政策の最終的な目的は、世界の専制政治を終わらせることだと明確に述べている。ネオコンの理論家ロバート・ケーガンは、これまでブッシュは対テロ戦争に勝つための手段として民主化を語っていたのだが、民主化の達成自体をゴールに据えたことに大きな意義があると絶賛した。しかし、現実は甘くなかった。
その後、パレスチナ自治政府の民主的選挙で選ばれた政権に、テロ組織のハマスが参加することになった。アメリカは新政権に厳しい態度を見せているが、皮肉な見方をすれば、パレスチナの民主化は確実に進んだのである。
イラク戦争は、フセイン大統領の大量破壊兵器保持の阻止とともに、イラクそして中東の民主化が戦争の大義として掲げられた。確かにフセインという独裁者は消えたが、民衆のエネルギーはシーア派とスンニ派という宗派対立を再燃させ、イラクは内戦の危機にある。しかしこれすら、独裁者がいなくなり民主化が進んだ過程の一コマと理解することもできる。
議会保守派長老の警告
ネオコン理論の破綻とともに、政府の人事面でもネオコンの退潮はあきらかになってきた。イラク戦争を進めた中心人物であるウォルフォウィッツ国防副長官とファイス国防次官はすでにその職を退き、後任には堅実な実務派が当てられている。ラムズフェルド国防長官へも、6人の退役軍人が口火を切った辞任圧力が、かつてないほど高まっている。偽証罪で起訴されたリビーは、副大統領として異例な権力握ったチェイニーの手足として、ブッシュ政権のネオコンの総元締であった。彼の苦境は、ネオコンの没落を象徴している。
加えて、議会の共和党保守現実派が、ブッシュ政権のネオコン的な政策に引導を渡すことになった。2月16日、下院国際関係委員会の公聴会の冒頭におこなわれた保守派長老のヘンリー・ハイド委員長の「黄金理論の禍」(Perils of the Golden Theory)と題された印象的なスピーチだ。この公聴会は外交関連予算要求をライス国務長官から聞くためのもので、スピーチはライス長官に向けたものになっている。
冒頭、ハイド委員長は米国と世界の関係はパラドックスの関係にあると喝破する。米国は、世界の平和に責任があると考え世界に関与する一方で、大洋で隔てられた独立した島国に安住し、過去の教訓に耳を傾けず、現実の制限を無視して、楽観的な未来を世界に説教している。そして、世界に民主化を広げることを外交の中心に据えることがアメリカの国益であるとする考え方−「黄金理論」と彼自身が命名した−は危険である。
ハイド氏は歴史に例を求める。第二次世界大戦後の東アジアには米国の長期プレゼンスがあり、平和、安定、協力の構造が作られ、民主化もその構造を強化する形で進行した。しかし、たまたま幸運な東アジア以外に、民主化が根付くことはほとんどなかった。インドなどはきわめて稀なケースだ。にもかかわらず、このような特例をあげて民主化という魔法の薬による東アジアのような変革が他地域でも可能だと主張する人は多い。歴史をより大きく眺めれば、民主化を世界に植えつけるためには、無限の力、時間、資源を際限なく投入しなくてはならない。米国はそんなことはできないし、するつもりもない。
ハイド委員長は現実を直視する。時代は、これまで馴染みがない新しい敵が力を結集しているような新しい段階に入っており、互いに激しく競り合う新興勢力が、米国の選択肢を狭めている。ライバルとの力が狭まったこの世界で、米国の誤算は自らを益々衰弱させ、黄金理論の代償は、自らの利益で払うことになる。 またハイド委員長は、ネオコン理論の一つの柱であるフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を暗に引き合いに出し批判する。冷戦の終結による民主主義の勝利に際して、歴史は終わったと宣言され、米欧の勝利が称えられた。しかし、かつてのイギリスの荘厳なる支配は、数年の短い期間で消失していったことを思い出さなければならない。米国が強大な力ゆえに自らを欺き、世界を受動的なものと見なし、自分のイメージで世界を変えていくことができると錯覚することは、むしろ米国が選択の自由を完全に失う日を早めるだけであろう。
最後にこの老政治家は30歳年下の娘のような国務長官に語りかける。マダム・セクレタリー、私はあなたの実績とあなた自身に深い尊敬をいただいています。そして、あなたが、我々の愛する国の利益を守り育ててくれると固く信じています。この場にいたライス国務長官が、この諫言を真摯に受け止めたのかはわからない。少なくともホワイトハウスは、この議会からの鋭いメッセージに注意を払うべきだった。そして、ブッシュ政権の弱体化、および議会との断絶を決定づける事件が、数日後に起こる。
凋落決定づけたDPW事件
ブッシュ政権の弱体化を決定づけたのは、アラブ首長国連邦(UAE)の国営企業「ドバイ・ポーツ・ワールド」(DPW)による米国の港湾業務への進出問題だった。
DPW社は、英海運大手「P&O」の買収契約の合意を取り付けたが、P&O社は米国の6港の港湾管理業務を請け負っていたため、その管理業務がDPW社に移行するという事態となった。米政府は買収を許可したが、国内のテロ対策に懸念を持つ議会が強く反発した。3月5日に調査されたワシントン・ポストとABCの共同世論調査では、回答者の70%がこの買収に反対だった。これは、9.11テロ実行犯のうち2人がUAE出身だったことが、米国民の心理に大きく影響している。それでもブッシュ大統領は、UAEは対テロ戦争の重要な同盟国なのだから、もし議会がDPW社の港湾業務に反対する法案を可決させても拒否権を行使する、と宣言した。
ところが、3月8日に下院歳出委員会は、買収阻止項目を盛り込んだ法案を62対2の大差で可決した。DPW社は「米国内の業務すべてを米国の組織に移す」との声明を発表して、事実上の撤退を余儀なくされた形となった。これは、議会の共和党すら抑えられなかったブッシュ大統領にとって、その凋落を内外に大きく印象付ける結果となった。
しかも、この事件の構図はブッシュ政権の根本的矛盾とかかわっている。これまでブッシュ政権は、テロの恐怖を国民に植え付け、支持を獲得してきた。しかし今回の問題は、米国民に対し自ら種をまいた対テロへの本能的恐怖が、政権の冷静な対テロ外交戦略を潰すという皮肉なしっぺ返しとなってしまった。
控えめな一般教書演説
このように弱体化したブッシュ政権は今後どのような方向に向かうのだろうか。そのヒントは、今年1月末に行われた一般教書演説にある。今年の演説は、これまでのブッシュ演説とは大いに趣を異にするものだった。まず、イランの核開発をめぐる国際的確執の最中にも関わらず、02年に語られたイラク・イラン・北朝鮮を悪の枢軸として名指しするような扇動的なトーンは姿を消した。
ブッシュ大統領は「イラン国民が少数の宗教指導者の人質となり、パレスチナやレバノンのテロを支援している」と批判し、「イランの政権が核兵器を開発することを許さない」と牽制したが、この言葉に凄みはない。現実の米国の手詰まりは明らかだからだ。
米軍はシーア派とスンニ派の内戦の様相を帯びてきたイラクの治安維持に拘泥しており、限定空爆はともかく、イランへ派兵する余裕はまったくない。もし、イランへ経済制裁を行えば、世界の原油市場のさらなる高騰を招く。ガソリン価格の高騰が、国内におけるブッシュ不人気の一つの原因である。さらに、シーア派のイランは、イラクのシーア派に影響力を持つ。米国のイランへの強硬策はイランの治安をますます悪化させ、イラクの米軍の首を絞めることになる。米国の打つ手が限定されていることは誰の目にも明らかだ。
このような手詰まりの演説の中で、ブッシュ大統領は、聴衆の耳を疑わせるようなエネルギー政策の「転向」を発表した。大統領は米国を「石油依存症」であると問題提起したのだ。石油は「世界で最も不安定な地域から輸入している」ので、むしろエネルギーの新技術革新でこの中毒を断ち切るとしている。保守派からすれば大きな肩透かしだし、リベラルからすれば、何をいまさらという話だ。「不安定な地域というのは中東のことだろう。だから、イラクに米軍を送り込み、民主化し、安定させるつもりではなかったのか?」というのが素直な疑問だろう。
これまでのブッシュのエネルギー自給率向上の対策は、テキサスのエネルギー業界を代弁し、環境保護派の反対を抑え込んでアラスカのエネルギー開発に乗り出す、という正面突破だった。
今回はその代わりに、ハイブリッド車や電気自動車へのバッテリー、水素電池やバイオマス燃料の開発が解決手段として提示された。演説の前半で世界をリードすることを宣言した国家の政策としては、あまりに地道な内容だ。知人のアメリカ人は「まるでクリントン政権のようだ(Clintonesque)」と皮肉をいう。ニューヨーク・タイムズ紙は、そのようなことは、「すでにGMもフォードも、トヨタもホンダも行っている」と揶揄する。
ブッシュ大統領は「エネルギーのコスト高にもかかわらず、米国経済の好調さは世界の羨望の的」だと強調した。しかし、すぐに「中国やインドとの新しい競争があり、米国は安穏とはしていられない」と発言し、「米国の競争力を保つために」必要なものとして、ヘルスケアシステム、安価なエネルギー、そして数学や科学の基礎教育の充実などが語られる。このトーンは「勝ち組」の演説ではない。むしろ背後に将来の経済に不安を持つ米国人の姿が透けて見えてくる。
米国の大統領制度は残酷だ。このようにレームダック化した政権も、08年の次期大統領選挙まで、政権を運営していかなくてはいけない。ヨーロッパや日本のように内閣不信任案が通り、総辞職あるいは総選挙をするということができない。おそらく06年のブッシュ政権は、中間選挙をにらみ、求心力の低下やレームダック化に歯止めをかけながら、苦しい政権運営を継続することになる。しかも、共和党の保守的な支持基盤の傾向を考えると、これまでのトーンを中道に大きく変えたり、民主支持層を取り込んだりすることは、ほとんど不可能である。
「手負いの狼」逆ギレの懸念
そうなると、現在の路線を継続しながら中間選挙を乗り切り、その後に残り2年を乗り切るための大改造をしていくしかないだろう。例えば、イラク戦争の責任者として、国民に不人気なチェイニー副大統領のクビを切り、国民的人気があり次期大統領候補と目されているマケイン上院議員やジュリアーニ前ニューヨーク市長などを副大統領に起用して雰囲気を変える、といった荒療治があるかもしれない。しかし、実際には身内で固めた排他的で、しかも沈みかかった船にあえて乗り込む人は少ないだろう。
いずれのコースをとるにしても、悪化するイラクの治安状況と米軍の負担は、米国に重くのし掛かってくる。また、イラン政策をめぐっては、「手負いの狼」だからこその「逆ギレ」懸念もある。直近の団結を求めるための強硬策はよくある話だし、議会もイランには強硬だ。
ブッシュ大統領は今年こそ戦争の不確実さ、外交の複雑さ、歴史の冷酷さをいやというほど思い知らされることになるだろう。

